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「限界芸術」鶴見俊輔の予見

哲学者の鶴見俊輔が先月、亡くなった。この偉大な思想家が果たした功績はあまりにも幅広く、深い。芸術や美術の分野で言えば、何より「限界芸術論」である。

鶴見は、芸術概念を三つに分けて考えた。専門家同士でやりとりされる「純粋芸術」、同じく専門家がつくり、非専門家が消費する「大衆芸術」、そして非専門家のあいだで交わされる「限界芸術」である。純粋芸術として絵画があるとすれば、大衆芸術は映画であり、限界芸術は落書きとなる。

一般的に、庶民にとって芸術は日常生活からかけ離れていることが多い。ところが、鶴見は芸術概念を押し広げることで、それを庶民の暮らしと重複させた。限界芸術が画期的だったのは、既存の美術史から自立した、しかしだからこそ庶民の当事者性にもとづいた、もうひとつの芸術を構想したからである。

ところが、限界芸術は長らく忘れられていた。とくに美術の現場ではほとんど無視されてきたといってよい。鶴見が挙げた限界芸術の事例があまりにも庶民的で、およそ芸術とは考えられなかったからなのか、あるいは非専門家による芸術という提案が受け止められないほど急進的だったからなのか、正確な理由はわからない。けれども現在のネット社会においては、美術に限らず、非専門家による創作活動が大いに活性化していることを考えれば、限界芸術は現代社会を予見していたと言えるだろう。

鶴見の限界芸術を今日にふさわしいかたちでバージョンアップすること。わたしが鶴見から受け継いだのは、この課題にほかならない。

現在、新潟県十日町市のまつだい「農舞台」で催されている「今日の限界芸術百選」(9月27日まで、現在は終了)は、この課題にたいする、わたしなりの回答である。全国に点在する限界芸術を一挙に見せる展覧会で、パンクバンドや華道家、会場近辺に在住しているご老人の方々に参加してもらった。

たとえば佐藤修悦は駅の警備員。円滑な交通誘導を図るため自発的に粘着テープで文字を形成した案内表示をつくった。独特の丸みを帯びた文字は「修悦体」と言われている。展示会場では、美術家でもデザイナーでもない警備員がつくったものを、美術に縁のない人たちが楽しみながら受容している。限界芸術の歴史は今まさに動き出しているのである。

初出:「朝日新聞」2015年8月19日夕刊4面

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