見出し画像

ある記事をきっかけに思い出した幼少期の思い出

「せんせぇー!山田くんの足とれたぁー」

スイミングスクール主催のキャンプでの出来事、山道を歩いていると、後ろから聞こえてきた。
一番後ろを歩いていた先生が急いで山田くん(仮名)の元へ行き、足首から下がぷらんとなっている“足”を装着し直した。

私の小学生時代の思い出の1つです。

山田くんとは習い事の曜日が違っていたので直接関わったことはないのですが、毎年のキャンプに彼も私も参加しており、周りの人や本人のやり取りを聞く限り、おそらく義足だったんだと思います。

水泳の時には義足を使っていたのかどうかはわかりません。
ただ、水泳の基本は腕で水をかくことなので、オリンピックを目指さない限りは泳ぐことに支障はないんだと思います。

「山田くんの足とれた〜」というセリフから先生が足の装着をするまでは、自然な流れで行われ、そのセリフや行動に反応する人もおらず、山田くんはごく自然にグループに入っていました。
山田くんが困っていれば助ける。彼が何も言わないのなら山登りもする。
おそらくスクールと親御さんの間で話し合いはされていたかとは思いますが、わたしたちにとって山田くんは、障害者というより、ただの「山田くん」でした。

先日、こんな記事を見つけました。

「義足で散歩」動画に称賛。

障害を隠すのではなく、それも自分の個性だと見せて歩くという内容です。
記事では多くは語られていなかったのですが、おそらく過去には奇異な目で見られ、義足を隠していたのだと思います。

この記事を見て思い出したのが、山田くんのエピソードです。
あの頃、障害云々の前に仲間の一人として存在していた山田くん。足首から下なので、今回の記事とは若干の違いはあるのですが、あの頃ほんの少しでも山田くんに接していたおかげで、私にとって義足は身近な存在であり、『障害者』という認識はあまりありませんでした。
おそらく電車で見かけたら席を譲ります。
しかし、道で見かけてもさほど意識はしないです。
これは、おそらく幼い頃山田君に出会った経験があるあらこそなのだと思います。

奇異な目で見る人の中には、差別的な意識でジロジロ見る人もいるかも知れません。
しかし、その殆どが、接したことがないためにどうすればよいのか分からないという人が多いのだろうなぁと思いました。

子供の頃の経験は一生の宝です。
山田君に感謝をしつつ、もっとインクルーシブ教育を進めなければならないとおもったエピソードでした。


あなたのサポートが活動の励みになります。 サポートの一部をコロナ関係の寄付にあてさせてもらいます。