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【#8月31日の夜に】

書くンジャーズ日曜日担当のふむふむです。

今週のテーマは【#8月31日の夜に】。

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「言動がストレートなため周りの友人を傷つけることがないか心配だ。そのため本人が気づかずに友人を不快な思いにさせるようなことがあれば指導してください」

新学年になるにあたり、大量の書類提出を余儀なくされる。これは、その中でも個人調査票に毎回書く言葉。幼稚園の頃から変わらない。

学校での様子を知りたいが、本人が話すことは一面だけ、楽しみも苦しみも悲しみも、すべてを伝えるような子ではない。

自分の中で完結してしまう、そんなクールさを幼い頃から持ち合わせていた。

友人から聞こえてくる言葉、先生の視点から学校での本当の様子を知りたい。

大抵の場合、家庭訪問や面談は、この言葉をきっかけに先生からの話が始まる。

一旦、怪訝そうな顔をして、

「お母さんは心配していらっしゃるみたいですが、そんな様子は見られず仲良くやっていますよ」

「男女とも分け隔てなく、冷静に言葉をかけていることが多いです」

その言葉を聞くと安心する。

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決して娘のことを信頼していないわけではない、むしろさっぱりとした性格で、陰で悪口を言うような子ではないことも十分承知している。

ただ、人の言葉というのは思いがけず刃に変わることがあり、ほんの些細なことであっても、言われた当人にとっては一生忘れることのできない傷になる。

話し方、伝わり方、その時の態度や表情、言葉の持つ意味が一瞬にして変わることも長年の経験から知っている。

だからこそ、言いにくい言葉でも臆することなく口に出せるタイプの娘が、何かの拍子にいじめの加害者として見られてしまうことがないか、その恐ろしい可能性をなるべく減らしてやりたいと考えた。

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健康な娘に対し、私は子どもの頃からの虚弱体質。一度体調を崩すと治るまでに手間がかかる。

病気で1週間休んだ後や長い休みの後、学校に行くと自分だけ置いてけぼりになっているような孤独感に苛まれた。学校生活の中で1日1日の積み重ねは考えもしないほど大きなもので、抜け出すことのできない小さな世界で生きている子どもにとって、1週間であってもそこに身を置いていなければ過去の人になってしまう。

学校に行くのは嫌いという訳ではなかったが、そんな時は憂鬱な思いを抱えていた。しばらく本を読んだり、おとなしく過ごしていると、授業中や休み時間のおかしかったことなど、何かしら話のきっかけをつかむことが出来、徐々に教室の中での作法を思い出していった。

それでも、やっぱりしばらくいなかった間のことは共有できず、私も敢えて聞くこともせず、無理をして知りたいと思うこともなくなった。

相手にも決して悪気があったわけではない、楽しかった時のことをその瞬間を分かち合った友と話しているのだから。

でも、心や体が弱っていると、卑屈に感じてしまう、ゆがんだ受け取り方をしてしまうこともあると知ってほしい。

なくしたわけではないけれど、新しいところに向かった方が気を楽に持てると気づいたのは学校を卒業して何年も経ってからだった。


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学校では先生が様々な角度からグループ分けをしているんだろう。

正直言ってテストの点がどうであろうと、部活の練習で疲れすぎて、ちょっぴりウトウトしてしまおうと、そんなことはあまり気にしていない。

それは自分で何とかしていくことができるから。

それよりも、友人との関係を築き、自らの頭で考えて、より深いものにできるか、その時だけの関係になってしまうのか、言われたからやるのではなく、ぐるりぐるりとらせん階段を上るように人間関係を築いていってほしい。

時に、強く言い過ぎてしまった時にはどんな言葉を選んだらよかったのか。そして正直に相手に謝ること、自分の想いだけを一方的に押し付けるのではなく、お互いの考えを尊重しながら話し合うことの大切さを学んでほしい。

ストレートに言うことができるあなただからこそ、分かってほしい。







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