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幸せになろう

『おててのしわとしわを合わせて幸せ…南〜無〜』

そんなCMを昔みた記憶がある。お仏壇のはせがわのCMだ。そのCMをみるたびに自分が思う幸せというのはなんやろうかと…というも自分は幸せではないとずっと思っていたが、それは自分がいる小さな世界から生まれた。蜃気楼に過ぎないのではないかと…

同い年の知り合いでも、今の歳になるまでに両親の死別、離婚、別居など様々な経験をしている人もいるし、自分なら立ち上がることのできないような失敗をしてもネタにしてコンテンツにする強者もいるのだ。

それなのに、
自分は、他人からみると実はちっぽけな失敗であって笑い飛ばせるようなネタで悩むことでもないようなことばかりではないかと考える。

思い込みの激しさ、オーバーリアクションなだけではないかと考えるようになった。たとえ会社を退職しても死ぬわけではなく、会社をやめた自分が始まるわけで、人生は続く。

次に出てくる悩みは「世間体」というモンスターの出現だ。これは日本において郷に入れば郷に従えからくるもの。みんな一緒で安心する。国民性なのかな。オーソリティーがよくてマイノリティーが排除されるそんな社会だ。

一度道を外すと元には戻れない。たった一度のペケが取り返しのつかない世の中になっているんやろな。そんな自分もちょっと人とは違うことをしてみたりもした。

ひとつは社会人から大学生になったことをあげてみる。自分のお金で4年間大学にいったわけなので、講義も真面目に受けたし、元はとりたいという思いもあった。だからといって希望通りの会社に入社したわけではない。むしろ、Ward、Excel、PowerPointのツールすら使わない場所で、仕事をしているわけなのだから、学問と仕事が必ずしも繋がることはないというのも身をもって知ることが出来たのだから、この経験は宝物だ。

抽象的なことを具体的にしないといけなかったな…
自己主張を強くして声をあげるべきだったな…

と振り返るとあまちゃんだったんだなと。気づきって本当に重要。自分の中でしっかりPDCAを回して恐れずに頭を使って挑戦しようなってツッコミをいれたい。

決して病んでいるわけではないのだけれど、
元気いっぱいにモスバーガーでMacをカタカタ叩きながら、言語化の練習をしている。
最近は無意識にnoteを開いては何を書こう、何を伝えようと考えていることと一人noteに向き合っている時間が幸せだったりする。

ロレックスが欲しい。アルマーニのスーツが欲しい。そんな物欲は時間とともに消えてしまったけども、そんな贅肉みたいな欲望は20代までに捨てることが出来たのはよかったな。
(あえていうなら身長と服のサイズが合わない笑)

誰かに伝えたい、届けたいを完全に無視した文章で、なおかつ着地点を見失った読み手に負担をかける文章やけど、これはこれでいい。

来週から、天狼院ライティング・ゼミに通って文章力を向上させようと前向きに考えているのだから、講座が終わったときに改めてこの記事を読んで、
未来の自分のために備忘録として残すことにした。

『幸せになろう』

意識はするけど、気負いせずにやっていきたい。





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