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ベトナムからバイクが消えた日。

今日、私が住むベトナムの街からバイクが消えた。

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トップの写真は「ベトナム」と検索したら出てきた写真なんだけど、大量のバイクはベトナムの代名詞ともいえる風景だと思う。

5月頃からじわじわとコロナの影響を受けていたベトナム。私が住む街では今日から、バイクでの通勤が禁止された。この街に公共バスや電車はない。人々の生活を支えているバイクが、禁止された衝撃は大きい。車を持っている人はまだまだ少ない中、バイク禁止、タクシー禁止、となると本当に人の移動を完全に止めるんだな、とベトナム政府の必死さがわかる。なんとかバイクで外出するには、必要不可欠な外出(食料品の買い出し、通院等)か企業が通勤証明書を発行した場合に限る。「え?通勤証明書あったら乗れるなら意味ないんちゃう?」って思うやん。でも警察官によって取り締まる度合いが違うので(途上国あるある…)、同僚は今朝通勤中に証明書持っているのに指導されて自宅に帰るしかなかった。

「食料品の買い出しなら外出してもいいの?じゃあそれを理由にこまめに外出できる?」と思うかもしれない。私は昨日、近所の大型スーパーロッテマートに行ったら、買い物エリアに入るのに1時間待った。何のアトラクションや…。野菜や果物は通常時よりもだいぶ少なかったし、パンは完全に売り切れ。値上がりしているものもあった。

【追記】食料買い出しのための外出も、まさかの通行許可証がないと罰金(約1万円)を取られることになった。通行許可証の発行はマンションやコミュニティごとで、発行時間は8時から17時。自分の勤務時間と丸被りで週末まで買い出しできないことに…。こんなことになると思ってなかったし…食料足りるだろうか。

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同じ省内の移動でも、在住する市を出るときは通勤証明書とコロナ陰性証明書の携帯が義務。ちなみに私はこの一週間でPCR検査を3回受けた。土曜の朝にアパートの部屋に人が来て、「この地域の人たち全員PCR検査の対象になったから今すぐ検査へ!」と言われ連行されたり、通勤に必要だからと会社から受けさせられたり。

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通勤や病院の搬送以外では基本、在住の市を出られない。検問所が置かれていたりランダムに通行車を止めてチェックされる場合もある。下の写真は実際の検問の様子。

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じゃあ、在宅勤務すれば?と切り替えられるほどベトナムの労働事情は甘くない。ベトナム全土に280余りある工業団地、ベトナムは世界のサプライチェーンを支える工場大国。ユニクロも、サムソンも、ファーウェイも、アディダスも、ニトリも、味の素も、あなたが使ってる車の部品、自転車の部品、PCの部品、食べている調味料、靴やカバン、服、家電、宅配された段ボールの素材まで、たぶんどこかでベトナムを通ってきてる。

工場一つにつき5000人とか従業員を抱える工場は珍しくない。その人たちを全員シャトルバスで送迎させることは不可能。そもそもコロナ対策で乗り物の乗車率が50%以下かつ20人以下というルールまであり、バスも足りない、ドライバーも足りない、、、まさに八方塞がり。

とはいえ在宅ワークしたとしても、隔離を免れる保証はない。ベトナムでは感染者が一人でも出たら建物一棟まるまる封鎖される。たとえタワーマンションに住んでいたとしても。民家の場合はその地域一帯が封鎖され、住民は2、3週間食材の買い出しにすら行けなくなる。(政府から食材の配給があるらしい。)

ベトナムを途上国と呼ぶかは議論が分かれそうだけれど、途上国ではもともとの設備不足だったり医療従事者が少ない分、医療が不安定化しやすい。コロナでは先進国ですら医療崩壊が起こったのだから、日本と似たような人口を抱えるベトナムの医療崩壊のリスクはもっと高くなる分、厳しい対応が必須なのは理解できる。実際、ベトナムにある病院だけでは対応しきれず、各地に野戦病院を作ってギリギリで戦っている。(野戦病院、という名前からベトナム戦争を連想してしまうのは私だけ…?)

先週からベトナム政府が操業を続けたい企業に向けて義務づけ「工場隔離」が私の目の前まで迫ってきた。私は工場勤務ではないけれど、工業団地に関わる立場として、もしもの時は社員全員が会社隔離の対象になることが勤務する会社の方針として示された。(涙)

「工場隔離」、全域に適用か
ホーチミン市では今月 15 日から、製造業を対象に、工場労働者の生産、飲食、宿泊を1カ所で行うか、工場内に宿泊施設を準備できない場合は、外部に宿泊施設(寮やホテル)を確保し、従業員の移動を工場と宿泊施設の間の1ルートのみに限定する「操業継続規制」が実施されている。規制を満たせない場合は、生産の継続は認められないため、多くの企業が生産を一時ストップしている状態だ。 
                                -2021 年7 月 19 日The Daily NNA ベトナム版第 04196 号

工場隔離とは、「労食住」の1カ所への集約を求める規制。工場内のテント隔離は実際の世界で起こっている。ホテル押さえれば?と思うかもしれないけど、一人でも感染者が出ればホテルの建物のみならず周辺地域全体まで封鎖されるのがベトナム。一度封鎖されたら不要不急の外出すら、その建物から一歩も外に出られなくなる。そのリスクを考えてホテル側が断る場合も多いらしい。そもそも何十人、何百人、何千人分のホテルを、この規制がいつ終わるかもわからない中で確保するのは相当コスト面の負担が大きい。

ベトナム政府は事実上、会社の通勤バス(乗車率50%以下かつ1台20人以下)以外の通勤を禁止し、通勤であろうが別の省への移動も禁止、ホテルも押さえられない、となれば工場隔離しか残された道はない。とはいえ、「じゃあ工場隔離だね!」ってそんなすぐに受け入れるのも難しい。クラスター発生するリスク、労働者の精神的なストレスと人権、残される家族の世話についてどう考えているかベトナム政府に強く問いたい。

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先週のうちに、いつでも会社隔離が発令されても良いように荷物をまとめておくように言われた。そんな今日、会社から荷物を持って出社するよう連絡があり、意を決して出社したけど、どうやらまだ私たちの通勤は政府の規制内で認められるようで、なんとか自宅に帰って来れた。

自分の日常が、この一週間でばああ~~~~~っと日々変化し、一週間前から今日は家に帰れるのかなあ、今日は無事に検問通れるのかなあ、まだ冷蔵庫に何が残ってたかなあ、と考えながら過ごす日々は思ったよりもストレスが溜まるんだと分かった。今も、「戦争でも始まるんか…?」と思わせるような異様な空気が常に漂っている。

人間って、仕事と家の往復だけのありきたりな毎日に嫌気が差したりするものだけど、ありきたりな毎日が送れない現実を目の前にすると、あのありきたりな毎日がどれだけ幸せだったのかに気付かされる。

とはいえ、会社隔離になったとしたって、屋根もエアコンもあるオフィスで3食食事付き。絶対死なないし、仕事を失うわけでも、給与がなくなるわけでも、住む場所がなくなるわけでもない。これくらいの不安で、もう終わったな、、、と泣きそうになっていたのは事実だけど、今まで生きるか死ぬかみたいな経験をしたことがない自分の人生がどれだけ恵まれていたかよくわかった。

まだまだ先が長そうなこのコロナとの戦い。早く自由になりたい。

私は2020年3月からイギリスでロックダウンを4か月、日本帰国時の自主隔離2週間、ベトナム入国時の強制隔離を1か月耐えてきたけど、今回が一番精神的に来ますね。(私この一年、どんだけ隔離されとるんや・・・)

人の恋しさ半端ない。


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