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【自己紹介】3つの病気と楽しく生きる

はじめまして。
齋藤史香(サイトウフミカ)といいます。
数あるnoteの中から記事をみつけて頂き、ありがとうございます。

私は無知から"子宮からのSOS"に気づかず、
初経から約20年後に大爆発を起こすことになりました。

大爆発を起こした病は、女性にとって身近な病気に変化しています。

もしあなたが
 ・生理痛やその諸症状を改善したい
 ・子宮内膜症である、もしくはそうかもしれない
 ・女性特有の病気を知りたい

と感じたのであれば最後まで読んで頂けると幸いです


経歴

幼いころより、病気で片足がない曾祖母の介護をみてきた
⇒訪問入浴のサービスに出会い、福祉の世界に興味を抱く

動物が好き 
⇒動物の専門学校へ進学
アニマルセラピーに興味があり、4年間専門学校で勉強する
そのうち2年は専門学校と通信大学のWスクールで学んでいた

新卒で福祉の道へ進み、在宅福祉の道へ。

障がい児・者(知的・身体、軽度の方から重度の方まで)と高齢者の方の在宅でのケアや外出や生活支援など幅広くサービスを行う。
5歳~100歳まで様々な人生と歩む貴重な経験・体験をする。

29歳で転職、心療内科の医療事務に挑戦
系列のクリニックへ転勤
複数科がある地域密着型クリニックで平均200人の患者と向き合う

計12年間、医療と福祉の現場で勤め、様々な世代との関わりが約5000人以上となる。

3つの病気を抱える私について

12歳 初経を迎える
   激痛と出血量が多く
   毎月くる生理に絶望を覚える

33歳 卵巣嚢腫破裂で救急搬送 
   重度の子宮内膜症の診断される

34歳 定期受診で提案された
   子宮頸がん検診で要検査となる

35歳 前がん病変があることが
   令和6年1月に発覚する

現在、3つの病気と生きることとなる

生理痛が病気!

生理痛、イライラなどの精神面、経血量の多さなどが異常だと知ったのは、子宮内膜症を患い、内服を始めて数か月した頃でした。

このまま内服しつづけるのだろうか、何とかならないのだろうかとネットや本で情報を集めたのがきっかけです。

そしてとある一冊の本に出会いました。
生理痛は病気であること、日本では生理痛が当たり前で辛く苦しい思いをしている女性が多いと書いてあったのです。

生理痛を我慢するのが当たり前になり過ぎていること、生理に伴う症状が本来「ない」ものだと知った時の衝撃は計り知れないものでした。

自分の生理が異常であったことを自覚した瞬間。

私の生理の当たり前である

 ・鎮痛剤が必要な痛み(たまに動けなくなる)
 ・40cmナプキン必須の経血量
 ・漏れが気になりパンツタイプ常備
 ・イライラなど感情の不安定さが出る

といった症状で「悩んでいたのは何だったのか」という風に思いました。

自分の生理を疑い、今までの生理を疑っていると人生で一度だけ、生理に悩んでいないという友人に会ったことを思い出したのです。

専門学校で生理の話になった時のこと、「しんどいよね」など生理で何かしら症状が出ている人達が話していました。

私も当然、しんどいと思っている側で参加していました。
その中で1人、「えっ、そんなに悩むこと」と言ってきたのです。
症状がある人達から「羨ましすぎる」という声があったことを覚えています。

もし、生理痛が『ない』のが正常だと知っていたら、きっとこの時の会話も違っていたでしょう。

異常を知るきっかけとなった大爆発

自分の異常を知るきっかけとなったのが卵巣嚢腫破裂。
SOSを見逃した結果、起きた爆発です。

なぜ気づかなかったのと思う方もいるでしょう。

生理は病気でお話をした私の生理の当たり前があります。
原因が子宮内膜症だと微塵にも思っていなかったのです。

出血量が多さ、痛みもあるのが当たり前だったからこそ

子宮が”限界”と

SOSを出しても気づかずに平然と仕事に行き過ごしていたというわけです。

人生初の救急搬送

最初に右下腹部に激痛が起きたのは土曜日の夜中でした。
落ち着かなければ月曜日に病院へ行こうと決めて週末を乗り切ったのです。

結局、朝から激痛に襲われ出勤どころではなく、近所の病院から大きな病院へ紹介され、検査をして婦人科疾患の疑いがあることを初めて知りました。
卵巣捻転の可能性が一時的にあったのではないかということでした。

痛みが治まってきたため、捻転が戻った可能性もあり検査予約をして帰宅。
痛みが再発するようならすぐに救急要請するようにと言われていました。
まさか、本当に救急搬送をお願いするとはその時思っていなかったのです。

夜中に再び来た激痛、人生初の救急搬送。
2年前はコロナ禍でPCR検査や血液検査など色々なことを同時並行で受けながら救急科で医師の到着を待っていました。

カルテから卵巣捻転の可能性、手術で確認しなくてはわからないことなどを説明されました。
そして自分が出した選択肢は手術。

手術に対して不安がなかったかというと、
小学6年生の時に後天性の膝蓋骨形成不全で亜脱臼の手術歴があるため、どうするかが何となく、理解できていたのです。

血液型、麻酔のアレルギーがないことなどを淡々と医師に話していました。

”激痛から解放されたい” 
それしか頭になく、早く楽になりたいと思うばかり。

結果、子宮内膜症により、チョコレート嚢胞ができ、破裂していました。
それだけではなく奇形腫という別の卵巣嚢腫も見つかり、切除。

内膜症は重度で臓器に癒着をしており、「腸が動くたびに痛みがあったのでは」と医師に言われて、ハッとしました。謎の腹痛が確かにあったのです。

身体は病気の予兆を確かに出していました。

それをなぜ見逃したのか?
普段から我慢するせいだったのです。
深く反省をしました。

そして我慢しないこと、辛い時は辛いと周りに話すこと、自分の病状を伝え、受け止めてもらうことなど行動を変えたのです。

幸いにも自分の仕事は医療事務で周りも理解があり、治療でしんどいときもカバーをしてくれたりと快く受け入れてくれました。

一方的にしてもらうだけではなく、自分も相手が困っているときには精一杯フォローをする。そして常に感謝を述べる。
ただそれだけをしてきました。

誰しも休む瞬間はあります。

医療の現場では、インフルエンザやコロナウイルスなど感染症が常に伴いますし、社会に出て、人と接触していれば誰にでも病気は起きます。

持ちつ持たれつの関係を作っておくこと、
そして常に相手へ感謝を伝えることを大切にして過ごせば、
たとえそれが生理でも、病気でもフォローをしてもらえる体制が出来るのです。

もし超元気で一日も休まない人がいれば、

その人が好きなもの(お菓子や缶コーヒーなど)をもって
「昨日はご迷惑をおかけしました。助けて頂き、ありがとうございます。」
と謝罪と『お礼』を伝えれば良いのです。

これは実際、私がいつもやっていた方法です。
日本人は謝ることは得意ですが、感謝を伝えることが下手くそです。

+α 感謝を伝えると大抵の人は、”大変だったけど、助けられて良かった”と感じます。
罪悪感だらけの謝罪よりも断然よい方法だと私は思っています。

ストレスなく、過ごすには自分も「ずる賢く生きること」が必要なのだと病気と過ごして改めて気づかされたのです。

子宮内膜症の治療開始

低用量ピルを内服することになり、副作用を抑えた新しい薬から開始となりました。

低用量ピルで注意すべき点は血栓症という副作用です。
脳梗塞や心筋梗塞の原因ともいわれる病気の一つを起こしやすいという話を医師から受けることになります。

幸いにも自分は血栓症の副作用は出ませんでした。

しかし、貧血のようなフワフワした感覚、頭痛、食欲不振が襲ってきました。

車通勤だったため、運転出来ないくらいの時は休みをもらうなどして過ごしましたが身体が慣れず、結局内服を変更してもらい現在のピルで落ち着きました。

術後から1年経ち、検査をすると内膜症の経過は良好。
子宮内膜の厚さをきちんとみるには痛みを伴う検査が必要ですが、医師と話し合い経過は悪くないため見送ることとなります。

子宮頸がん検診の話となり、20代にしてからしていないと伝えると「一度検査をしておきましょう」とその日は検診も行うことになりました。

これが後に、大ごとになるとは私自身思っていなかったのです。

子宮頸がん検診で要検査になりました

検診から3週間経ち、1本の電話がかかってきました。
「要検査となったので早めに受診ができませんか。」という一言に唖然。
仕事の調整をし、病院へ受診することになりました。

検査内容などを説明を受け、細胞をとるため痛みがあることなどを告げられます。
始まった検査、あまりの痛さに笑いが出そうになる始末。

何とか耐えましたが2度としたくないと内心思いつつ結果を待つことに。
定期受診の時には話せるということで、元々1か月先に予約していた日に効くことになりました。

結果は、子宮頸がんの可能性を否定できないという高度異形成の診断。
今回の検査では病巣が見つからず、半年から1年して再度検査をしようという話となり冷静に先生からの話を聞きながらも心はぐちゃぐちゃでした。

どうしよう。
子宮内膜症の次は子宮頸がん。
卵巣嚢腫破裂で死にかけたのに次は、、、。

生と死に再び向き合うこととなりました。

不安がある中、日々は進みます。

2023年12月に再度検査をしておこうと、1月予定を前倒しして検査を受けることになったのです。

2024年1月 結果、"ガンになる前の細胞がいる”ということでした。
      前がん病変と言われ、ステージ3まで進んでいました。

医師から「不正出血とかないですか?」と言われたときに「何もないです」と答えました。

【無症状であること】をその時に自覚し恐怖に襲われました。
それと同時に、検査をしていなければ密かに進行し、本当に死んでいたなと思ったのです。

あの時、「検査しましょう」の一言がなければ自分は一生気づかず過ごしていたのではないかと思うとゾッとしました。

我慢せず、病と生きる先に見えたもの

もしかしたら、「あなたは3つの病気を抱えて、人生で楽しいの?」と考えるかもしれません。

3つの病気を抱えたからこそ、
”私は自分を大切に、そして日々に感謝し生きれるようになりました”
多くの人に支えられ、生きていることの実感をしたのです。

病気に対する気持ちを生理しながら、自身で出来るケアはないのだろうかと考えるようになり、色々な本や情報を通して方法を探すことにしました。

内服をし続けるのが嫌だなと思う自分を自覚していたからです。
しかし、問題がありました。
それは生理に対するセルフケアが複雑すぎると感じたこと。

35歳、私くらいの年齢であれば仕事や家事、子育てなど日ごろから時間に追われた生活をしている方が多いのではないかと感じています。

なのに、

 ・生理痛を起こす体質は複数が絡み合っている
 ・取り入れる方法の複雑さ

など絶対続かない要素が多く見受けられるのです。

私自身、とてもずぼらな性格。
複雑なことは苦手だからこそ、自分に合った方法を考えるしかないと思い、共通点を探すことにしたのです。

すると、『巡り』というキーワードが出てきました。

私は、ストレスがすべてお腹に出る体質で、不調が出れば冷えに繋がったりと全身が負の方向に持っていかれます。

そこでキーワードとなる『巡り』を簡単によくする方法はないだろうかと探すことにしました。

調べていく中で、食生活に着目しているというイタリアの研究論文に出会いました。
なんと、海外でも子宮内膜症を抱え悩む女性が数多くいることをその論文で知ったのです。

子宮内膜症と食生活の関連性は研究段階であるとはありましたが、食生活に注目している人が多いと知り、やってみることに。

イタリアと日本では食材などが違います。

巡りをよくする食材は何か、どんな方法でとるかを考えたときに会話をしていてとある食材に結びついたのです。
食を変えるだけでは、良くならないこともわかっています。

もう一つ、簡単に出来る事を私自身は知っていました。

テレビを見ていた時に、偶然にも自分がしようと思っていたことが効果があると確信に変わり、ズボラな私でも簡単にできる2ステップが誕生しました。

そして、一番不安だった休薬日の消退出血の痛みも軽減し、楽しく子宮と生きれるようになっています。

もしあなたが

 ・生理痛やその諸症状をどうにかしたい
 ・子宮内膜症を自身の力で改善したい
 ・働く中で、女性特有の悩みが打ち明けにくい

などあれば力になります。

SNSで私の病気のことを継続発信してますので、下記リンクから覗いてみてくださいね。
ふみか@3つの女性特有の病気と生きる

https://twitter.com/fumika_wmcare

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
あなたとのご縁に感謝しております。

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