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私の青春時代 Janne Da Arcの解散

2019年4月1日(月)新元号は「令和」と発表され、世間は新元号の話題で持ち切りになっている一方で、私は新元号よりも衝撃的なニュースを目にした。

Janne Da Arc の解散だ。

今から遡ること14年前。

当時の私は高校生で飲食店でアルバイトをしていた。

ある日、学校が終わってからいつものようにバイトに入った。
お客さんの入りがピークを超えて少し落ち着いた頃にホールでぼんやりしていたら、有線から流れてきた曲に気を取られた。とても綺麗なメロディーで、何より歌っている男性ボーカルの声がとても美しかった

バイトを終えて、私は家に帰るなりすぐに調べてみると、Janne Da Arcの「月光花」という曲だった。私はJanne Da Arcというバンド自体は名前は知っているくらいで、おそらく初めて聴いたのはテレビで流れていた「EDEN 〜君がいない〜」という曲。次に聴いたのは、アニメ版「ONE PIECE」のエンディングだった「Shining ray」という曲だった。

それからというものの、私はアルバイトでコツコツと稼いだお金をJanne Da ArcのCD、PVが収録されたDVD、ライブが収録されたDVD、映画化されたDVD、「ANOTHER STORY」の世界観をボーカルのyasuさんが小説化した書籍、全てそろえた。CDにおいては、保存用と観賞用と分けて購入していた。初めてファンクラブというものにも入会した。

当時、通っていた高校の同じクラスメイトだったHさんという女性もJanne Da Arcを好きということを知ってから二人は一気に仲良くなった。二人ともボーカル「yasu」さんのファンだった。

私は当時、インターネットが大好きで、仲の良い友人誰にも教えていないPC版のホームページを持っていた。そういったことからホームページ作成には慣れていることもあり、「フォレストページ」という携帯無料ホームページ作成サイトでJanne Da ArcのファンサイトをHさんと共同で運営することにした。

その共同ホームページのデザインは、背景は真っ黒でフォントカラーは赤や灰色などで統一しており、高校生らしさというかキラキラしたものとは程遠かった。今思い返すと、なかなかの恥ずかしさが込み上げてくる。

高校生の頃、誰かと遊ぶとなるとよくカラオケに行った。
Janne Da Arcを知らない友人とカラオケに行けば、誰もが知っている曲を歌うが、Hさんといる時はJanne Da Arcしか歌わない。歌の上手い下手は置いておいて、Janne Da Arcで歌えない曲はなかった。私たちの次に入った人は、Janne Da Arcの曲しか入っていない怒涛の履歴を見て驚いたことだろう。

Janne Da Arcのメンバーは大阪府枚方市出身ということもあり、Hさんと一緒に大阪までライブに行った際、聖地として有名な「居酒屋修ちゃん」にも一緒に訪れた。店内にはポスターやサインが飾ってあり、店内のBGMはJanne Da Arcの曲が流れていた。初めてライブに行った時の感動は忘れられない。

その後、2007年より活動休止となった。
大人になってからは私も仕事で忙しくなり、しばらくしてHさんも結婚して子供が生まれ、それぞれの生活が忙しくなっていった。ただ、いつか復活したらまたライブに行けたら良いなと思っていた。

それから気付いたら10年以上が経過し、この解散のニュースを見て驚いた。
ギタリストのyouさんのTwitterには、他のメンバーやファンを思いやる気持ちが伝わってきて心打たれた。

突然の解散発表は悲しい内容ではあったが、私は活動していた頃のJanne Da Arcの5人が大好きだった。好きな曲を紹介しようと思ったが、どれもそれぞれの良さがあって選べないから割愛することにする。

私の青春時代を支えてくれたJanne Da Arcありがとう。

私は久しぶりにJanne Da Arcの曲を聴きながら、二人目の子供が生まれたと年賀状で報告をくれたHさんに久しぶりに連絡をしようと思う。

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