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ものかきのおかしみと哀しみ

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半分のこわい話

半分のこわい話

病院って「人間」が見える。良くも悪くも。

あ、ホラー要素ゼロなので安心して読んでください。大丈夫。

こんなに病院に通うというか、病院で過ごすなんて思ってもなかった人生だった。

病院は疾患を治療する場所だけど、同時にふだんは見えてない人間のいろんな部分が晒されるんだ。

特に診察だけでなく、通院での治療でほとんど一日中、病院の中で過ごす時間が多いと余計にそう思う。

僕が通ってるがんの治療セン

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ポケットティッシュを2個呑んだ 呑めなくて書けませんでした

ポケットティッシュを2個呑んだ 呑めなくて書けませんでした

呑み書きの擾乱じょうれんって打とうとしたんだけど。ヤギの唯一の称号だだったのに、今回はそれも叶わなくなつまてしまでた。

いま服用してる薬の関係で一切、お酒が飲めない。

素面しらふではなんか書きにくい。そろそら晒す、ちがーう素面って言葉というか通じないんじゃないか。お酒飲まない人にも通じるのかな。わからない。

からうじて寝起きのぼんやりした状態で書いてみてるからところどころ誤字は通常運転。

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抱き合わない話

抱き合わない話

高度成長期に「教育ママ」という言葉があった。たぶん、いまは死語。

とにかく自分の子どもの教育や習い事に熱心というか過剰に介入してマネジメントしようとする現象。

いまならなんだろう。毒親とかにも含まれるのだろうか。

時代は変わってもなくなったわけじゃない。いろんな場面で出現して周囲を困惑させているみたいだ。

いや、むしろ場面というか局所的には以前よりストレートに親の介入がある。

就活なんか

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自分のために書かない

自分のために書かない

ライターは自分のために書かない。そんな不文律がある。少なくとも僕にはある。

メディア記事なら取材して話を聞かせてもらうインタビュイーのため、書籍ならコンテンツを持つ著者の伝えたいことのために書く。どちらも最終的には「読む人」のために書く。

なぜなら、それがライターの役割だからだ。

ライターが自分のために書いてしまったら仕事として成り立たない。もちろん、よほど腕もあって名の売れたライターなら「

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がんと生きる、スリッパが消える

がんと生きる、スリッパが消える

とっ散らかっている。いろんなものが思考の端っこで見切れるみたいに引っかかってプラプラしてる感じ。

どれも「そこにある」のはわかってるのだけど、なぜか手が届かない。

まあ、いい感じではない。

こんなこと書くと「具合悪い?」と思われてしまうかもなのだけど、具合がすごく悪いわけではない。そもそもがoverステージⅣのがん患者なので、とりあえず「変わらず」生きてるだけでいいことなのだ(当社比)。

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鳴きながら書きました #呑みながら書きました

鳴きながら書きました #呑みながら書きました

ヤギだって泣く鳴く。メェっーたに泣くってないねん。

あ、今回の生牡蠣呑み書きは喜怒哀楽出していいって噂だから。あ、べつに今回に限らずいいんだけど。

何に泣いてるよか。んのんだろう。なんだろう。他社にとかちがえ他者にとかじゃない。どうにもならない自分にだ。

悲しモイのの由来、悲しみの辛い刃、由来ね。悲しみの由来はわかてる。「痛み」だ。ペイン。

痛みがここのことろ常に自分に付きまとってくる。ほ

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「狭き門」は広い

「狭き門」は広い

思い込みは怖い。まあ、気づかずにいるうちは思い込みとさえ考えないのだけど。

人間とヤギをやってそれなりになるけれど、いまだに自分に見えてる世界の危うさに「ハッ」とすることがある。

「狭き門」の捉え方もそうだ。

もしかしたら、そんなの常識レベルなのかもだけど「狭き門」と言われると「大勢が殺到して、そこを通過できるのは一握り」みたいに捉えてた。

本来の意味はそうではないらしい。

作家の森博嗣

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なんか変だなと思うこと

なんか変だなと思うこと

接客がびよーんと来る。これだと、なんのことかわからない。僕もわからない。

だけど、僕もどうしていいかわからなくなったからここに書いて供養しておきたい。

その日は珍しくリアルのショッピングモールで必要な服を買っていた。

まあ、最近そうかもしれないけど、服でもなんでも圧倒的にネットで買うことが多い。村暮らしだから電車に乗って(いちばん近い駅に歩いて行こうとしたら山を越えてかないと行けない)ルミネ

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絶望感について

絶望感について

「ふみぐらさんは、こんなふうになって絶望感とかなかったんですか?」

みんなも知りたいだろうからあえて、という文脈の中で嶋津さんからそんな問いがあった。Spacesの「対話パーティー」で喋ってたときのことだ。

その問いだけ切り取って興味本位の質問みたいな誤解しないでほしいのだけど、いろんな深い話をした上での問い。

んー。絶望感か…。ここでも僕と嶋津さんが好きな沈黙が僅かに流れた。

答えたくな

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猫のわからない

猫のわからない

僕は猫を愛している。なぜだかは、わからない。ヤギなのに。

ソクラテスは「わからないことをわからないまま愛すること」の重要さを説いた。

いや、ご存知のとおりソクラテスは生涯にわたって一切「結論」めいたことは話さず、自ら何も書き残さなかった。

だから、さっきの「ことば」は僕が勝手に触れてそう感じてるだけ。

猫は哲学だ。あるいは叡智。尊い。

何を考えてるのか。何を目指してるのか。何を感じてるの

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「身体の声」が聴けない僕たち 「ことばのアトリエ」対話録

「身体の声」が聴けない僕たち 「ことばのアトリエ」対話録

僕(ふみぐら)と嶋津さんでつくっている自然発生的なユニットがある。

その名は「ことばのアトリエ」。フランス語のアトリエの源流を辿っていくと「木っ端をつくる者、その場所」という意味がある。

まるで僕らだ。

お互いに「ことばの原木」「ことばにならない断片」みたいなのを持ち寄って、削ったり、磨いたり。そんな作業をふたりの対話、お喋りをとおしてやっている。

だけども、決まった場所、決まった形式では

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「嬉しい」は「楽しい」の上位互換だった

「嬉しい」は「楽しい」の上位互換だった

最近、嬉しいことがいくつかあった。楽しいじゃなく嬉しい。

こんなこと書くと読みたくなくなる人もいる。基本、人は他人の困難に反応しても他人の良きことにあまり興味はない。なぜか、そういう設定をされてしまってる。

まあ、そういうものだというのもわかった上での話。

ひとつは何年かぶりに、演劇仲間がお見舞いのお酒やら和ケーキやら果物や胡麻油(すごく旨い!)なんかを携えて信州まで訪ねてきてくれたこと。

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書くために、書かない時間

書くために、書かない時間

最近、僕は文章を書かない。いや、書いてるんだけど書かない。また、なんかおかしなこと言ってるけど。

このnoteもそうだけど、人は文章を書く。

なにか伝えたいこと、言葉にしたいこと、そんなんじゃなくてとにかく読まれたくて書きたい人もいる。じゃなきゃ、こんなに世の中に文章が溢れてこない。

それは、べつ悪いことじゃない。

昔みたいに、文章を書いてリリースするのが限られた人たちだけなんてつまらない

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