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南青山の児童相談所騒動に決定的に足りないもの

小さいころ、児童相談所に連れて行かれたことがある。妻以外の誰かにはじめて打ち明ける話だけど。

例の南青山の騒動で、利用者(と言っていいのかわからないけど便宜上)の子供の側からの声がほとんどないのが気になった。

もちろん当事者の子供が声を上げることなんて難しいし、自分がそうだったときのことを思い返しても、周りの子も大人たちも多くの人は児童相談所とは無縁に生きていて、その空気感は誰もわからないのがふつうなのだ。

そのために当事者と関係ないところで、おかしな方向に議論とも呼べないとんちきな話が展開されているのが僕には引っかかる。

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7歳のときだった。家庭の事情で僕は児童相談所(以下、児相)のお世話になることになった。

当時、母親は急性骨髄性白血病(AML)を患い、何度かの入院と自宅療養をくり返していた。それまでも僕は入院の度に祖母の家から他の学校に通ったりもしていたのだけど、そのときの入院治療はかなり厳しいことになりそうで、僕は児相を通じて児童養護施設で預かられることになった。

正しく知らない人も少なくないので補足すると、児童相談所は問題児童や虐待を受けている子、親を失った子などだけが一時保護される場所ではない。

親の重い病気や困窮等で養護が必要な子の相談を受ける場所でもある。そこでの調査、診断、判定を経て児童福祉施設、指定医療機関に入所させる措置がとられる。僕の場合も親の重い病気がきっかけだった。

また、今回の南青山の件でも誤解されているが、そうした子供たちが児童相談所で長期「生活」することはない。そこから学校にも通わない。あくまで児童福祉施設などに移るための入り口の施設だ。

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季節は秋に入ろうとしていた。7歳の夏休みが終わっても僕は2学期が始まっていなかった。残暑の厳しい、ある日の午後。僕は母親と一緒に隣町の市にある児相の建物に足を踏み入れた。

外の光の洪水も、児相の建物には入り込んでいない。公的な施設特有の湿度の低さと冷ややかな空気が同居していて、瞬間的に僕は自分が何かと切り離されようとしているんだと思った。何かはわからないけれど。

その頃、親とどんな話をしたのか、児童養護施設に預けられることについて、どんな話があったのかはほとんど覚えていない。

一応、親の名誉のために書いておくと、ネグレストとかではなく、子供心にも本当にいろんなことがままならない状況なのはなんとなくわかっていた。

父親も朝から晩まで働かないといけない。祖母の手も兄弟の面倒を見ることで塞がっている。まあ、僕がそうするより仕方ないんだなとうっすら自分でも思ったのだと思う。自分のことなのに、とくにそのことについてすごく嫌だったとか、悲しかったという感情の記憶がない。

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会議室のような部屋で職員の人と母親が何かの確認のような話をしているのを僕は隣でぼんやりと聞いていた。

早く終わってほしいとも、この瞬間が不安だとも、おもしろいとも感じない。なんていうか、自分がガチャガチャのカプセルに入れられた何かみたいな感じだった。誰かがレバーを回す。カプセルが転がり落ちる。それだけだ。

そんなことを思っていると、不意に会議室の空気が動いた。大人の職員たちが立ち上がって、母親が頭を下げて何かを言って出て行く。

入れ替わりに他の職員が入ってきて、僕に「準備が出来たら行こうか」という意味のことを言い、僕はうなずいた。

職員の人が運転する車に乗せられ、一時的な保護をする養護施設に向かう。後部座席に座らされた僕の隣にも別の職員が乗り込む。護送されるって、こんな感じなのかなと、ドラマか何かで観たシーンを子供の僕が思い出している。

中心部に向かう高速道路を走りながら、隣に座った職員の人がたまに何か話しかけてきたけれど、僕は何も答えず、ずっと外を見ていた。日常と切り離されたどこでもない景色が次々と流れ去る。どこにも辿り着かなければいいのにと少し思いながら、僕は飽きることなく車窓に顔を向けていた。

僕の児童相談所の記憶はそこで途切れている。

そのあと、一時的な保護施設を経て郊外の児童養護施設に入り、通った小学校で学級崩壊を起したり、施設でも書いていいのかどうか考えてしまう事件がいろいろあったのだけど、それはまた違う話だ。

当事者の子供にとって、児相はこれまでの小さな世界と「切り離された場所」だ。それがどの町にあろうと、子供にとっては世界がリアルに切り離されることがほぼすべてだ。

児童相談所のある町のブランドがどうだなんて、当事者としては果てしなくどうでもいい。申し訳ないのだけれど。

僕は自分が児相に連れて行かれた状況を淡々と受け止めているのだけど(なぜかは自分でもわからない)、みんながみんなそうとは限らないと思う。

児相に行くケースによっても違う。誰にも言いたくない人だっている。だから一般化なんてできないしすることでもない。

ただ、それでもリアルに子供のときに児相にお世話になった人間として、今回の騒動で思うのは「人のやさしさ」はどこに行った? ということだ。

いろいろ言う人がセレブでも苦労してブランドを手に入れたのでも何でもいいよ。人はみんな違う。その通り。こっちも他人の世界観に介入はしない。だから、せめて何も言わない「やさしさ」ぐらいは持っていてもいいんじゃないのか。

べつに、彼らが言う「かわいそうな子や親」を積極的に受け入れたり、サポートまでしなくてもいい。児童相談所の当事者は自分の世界が切り離されたり、壊されたり、喪失したりしているのだから、そもそも外の世界に関わりたいなんて思っていない。

ただ、そっと見守るのも、そっと環境をつくるのも、そっと支援するのも、直接当事者がわからなくても「間接的」にはどこかで伝わってくる。人のやさしさは、あとからわかるものだってある。

僕の場合はという個人的なところからしか言えないけれど、少なくともあのころの世間の人たちは、自分が積極的に関われることなら何か言っても、自分が関わりもしないのにどうこう言うような大人は子供から見てもほとんどいなかったと思う。

それもあったから、紆余曲折はあっても児相→児童養護施設→第三者の家庭でのホームステイ(複数)→実家というルートで生き延びることができたのだ。どこかで人のやさしさがあったから何かを恨まずになんとか大人になれた。

子供に世界の仕組みはわからない。でも世界が何の成分でできているのか感じることはできる。

反対派とされる地域住民、そこに見え隠れする地域の利害に関わる何か、福祉行政のファシリティマネジメントも含めて、「人のやさしさ」が根本的に見失われているのが今回の真の問題なんじゃないか。

本質的な問題は「場所」ではない。


※補足(2018.12.20)

今回の件でも、主にメディアの乗っかり方(何の事象でもそうだけど)、
わかりやすい対立を拡張して煽ることで本質がより見えなくなる構造に「ちょっと待てよ」という違和感を感じてる地元住民の人もいます。

青山で暮らす人すべてが、あんなパワーワードを口にするわけじゃない。
いや、むしろごく少数でしょう。

僕が言う本質的な問題は場所じゃないというのは、そこも含めてです。

どの町でもそうですが行政が、人のやさしさや人の心を持ってちゃんと暮らす人たちと向き合わずに行政の論理と言葉のみで物事を進める(そうでない行政の人も少なからずいることも知ってます)と歪なことになる。

金額の大きい箱物案件ほどいろいろな事情でそこをすっ飛ばす。人のやさしさはいつもそこで置き去られ風に吹かれたままです。