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五輪がっかりおじさんたちがつくってきた日本

こういう話を書くのは、本当はあまり褒められないのもわかっている。いわゆる「主語が大きい」話にもなってしまうからだ。

それに、発言の一部を切り取ってあげつらうのは、どんな話であっても「フェア」ではない。この場合の「フェア」とは、話し全体の、あるいは話者の正当性を担保する意味ではないのはもちろんだけど。

通常運転なら、思うところはあってもいちいち言語化しない。だけど、今回は「あ、これリアルの発言だな」と理屈じゃなく感じた。

よくある政治家の「失言」は、そのとき思ったことを「口が滑って」とか、そもそもトンチンカンなことを言う、あるいは表に出してはいけないものを「うっかり」出してしまうようなパターンだ。

だけど、今回の“失言”は、もし僕がライターとしてその場に居合わせたとしても「失言じゃなくリアルな発言」として捉えただろう。

この五輪がっかりおじさんの上司は「職務に熱心なあまり、もらした本音」という解釈をしていた。これもリアルだ。

そう、この国ではやっぱりまだまだ、どんな状況でも立派な「職務遂行マン」が評価される。それって政治家どころか官民問わない。

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10年ほど前だけど、あるエリート若手官僚(言葉が古い…)からこんな話を個人的に聞いたことがある。彼の親族が亡くなり、葬儀に出席するため上司に特別休暇を願い出た。

ちょうど国会会期中で官僚は担当大臣が答弁するペーパーを徹夜で絶賛作成する時期。どうしても葬儀に出たいという彼に上司は「俺は自分の親の葬儀でも出なかったぞ」と皮肉混じりの自慢をされたのだ。

こんなのは別に珍しいものではなく、数々の「どんなときも仕事を優先した美談」が語り継がれているという。さすがに、いまは少し変わってると思いたいけれど、やっぱりそういう「上の人たち」が動かしていることに変わりはないのかもしれない。

茂木健一郎さんのツイートが的を得ている。

「悪意というより、ご自身の『おじさま』としての感想そのまま」

たぶん、おじさんたち、自分が言ったことでなんでここまで叩かれるのか本心からわかってないと思う。いつもシチュエーションは違っても同じようなことを言ってるからだ。

部下が大事なプロジェクト中に倒れたら「どうするんだ」とか、パートナーが寝込んでも「俺のメシは?」とか。

五輪担当相だから言ってはいけなかったという考え方も逆に怖い。

言ったことが問題なのではなく、そういう精神性の人たちが上のレイヤーにいるシステム。「人として」の部分も持っているのはゼロではないだろうけど、それ以上に「職務」が上位に来てしまう、何とも言えない構造。

五輪がっかりおじさんだけの話ではなく、ふつうに世の中の企業にいるおじさんにも当てはまるし、外で偉そうにおかしな行動するおじさんにも根底では共通している。

そういう意味でも「辞任」とか「襟を正したから」といってなくなる問題でもないのだ。

なにしろマツコ・デラックスさんが別件でも言ってたように「この人たち悪気がないのよ」というところに真の問題が根深く広がってるのだから。