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深い話ができないと息が苦しくなる

逆じゃないの? 深い話、しんどいじゃん。と思われるかもしれないけどそうなのだ。深い話ができないと息が苦しくなる。

もちろん浅い話だけ適当にしてるほうが楽という人もいる。どっちが正しいではなくて。

僕の場合はN対n、つまり大人数の集まりで関係性もあるようでないような小集団が入り乱れる場での浅い話(雑談ですね)を楽しめない。

そこを掘っていくとなんかおもしろそうなんだけどな、と思っても「そういう場じゃない」のはわかってるので(取材じゃないし)流す。もちろんそんなの気にしてるのは自分だけなので場はもう次の話に移ってるのだけど。

というのを繰り返してると、だんだん息苦しくなってくるのだ。

まあそういう仕様だとしか言いようがない。関係性がある人たちとは浅くても深くてもふつうに息できるんだけど。

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深い話をすると、深く呼吸するように思考できる。比喩的な意味ではなくて、本当に思考と酸素が身体中行き渡る。気がする。

酸素が行き渡ると身体が軽くなるのと同じで、楽なのだ。浅い話(とくに広がりも意外な方向への展開もない話)は、とにかく表面の出来事を追ってそこに反応しないといけないので疲れる。うまく呼吸できないから、途中で話が息切れしてしまう。

取材ではもちろんそんなことにはならない。表面の出来事も聞くけど、なぜそうするのか、そこで何を感じ何を考え何が見えたのかという深い話もするから、むしろ自然に深く呼吸できて楽だ。

まあそういうのは少数派で、そんな誰とでも深い話したくないし聞きたくない疲れるという人のほうが多いのもわかるんだけどね。

あと表面的な和やかな話をしてた人たちが解散して素に戻ったときの、なんとも言えない「無」な感じが怖い。

深い話をしてた人たちって、そんなふうにいきなり「無」にはならない気がするんだけど。