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人を突き放すくせの話

たぶん、というか確実にだけど僕には人を突き放すくせがある。
あ、現実にじゃないです。自分が書く文章の話。

仕事で書いている文章は、そもそも前提というかコンテクストが違うので、さすがにそうはなってない(はず)。すごくざっくり言うと――

読者(ターゲットという表現はあまり好きじゃないけど)がいて、テーマがあり、構成があり、その中でちゃんと読者に「それってなに?(動機付け)」→「こういうこと?(気づき)」→「読めて良かった(読後感)」を味わってもらう大前提がある。

そこで「人を突き放して」たらライターとして問題だろう。

なのにnoteではうっかり読む人を突き放す。ほとんど無意識レベルにやっている。自分でも薄々感じていたのだけど、信頼している読み手であり編集者でもある人に直球で指摘されて言葉がなかった。

「読んでいるとざらつき感がある。(読み手が)ポツンと取り残される気がする。世界観がわからないと読めない。入らないでと言われてる感じがする」
「話の伏線に雑味が多い。何を書くかのネタ、話の核心はいいのにノイズが多すぎてスッと入ってこない」

ああもう。noteの神さまにスライディング土下座したくなる。

いや、わかってるんだ。自分の文章のくせ。中途半端に優しくて中途半端に冷たい。これ、人間だったら76%の確率で付き合いたくないと思われる人だ。もっと言えばクラスで目立つわけでも、陰キャでグループつくるわけでもないタイプ。

いたなーそういうやつ。自分だけど。ふつうに生きてるだけならそれでもいいけど、文章の書き手としてはまずいんじゃないか。

「冷たくするなら最初から。優しくするなら最後まで」

銀色夏生先生もそう仰ってた。愛読者ではないけど、その名言だけはなぜか知ってる。

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たぶんこういうのが雑味なのだ。文章にノイズを挿入したり突き放すのは、本当はそれなりに高度な技術がないと成り立たない。

隠し味だとしても、それ自体が味としてわかってしまってたら隠し味とは言えず、本来の味を壊してしまうのと同じだ。

無自覚にやってると読む人を置いてけぼりにしてる可能性が無限大にある。

だからって「宇宙一わかりやすいなんとか」みたいに懇切丁寧に消化しやすい文章にしても(仕事としては書けるんだけど)、それって味があるかといえばまた違う話しになる。

スッと入ってきて味のある文章。それは目指すものじゃだめなんだ。日々やるべきことだから。

と、頭で考えてばかりでも仕方ないので、くせがあるのにスッと入ってきて味のある美味しいお茶でも飲みます。