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ラジオの終わり

夏休みが終わる。あるいは終わった。いい大人になってしまって、もう夏休みの喜びも哀しみも関係なくなっているのに、未だにこの時季はこころがぞわぞわする。僕みたいなどこにも所属していない仕事をしていると特に。
 
何がぞわぞわするんだろう。たぶんだけど、子どもの頃の感情の記憶(多くは干からびてる)をぱらぱらと眺めていると、どうやら「意味のない時間」から「意味あるものしか許されない時間」に引き戻されるのが、なんとなく嫌だったからだ。
 
 
夏休み。僕は自分の世界にいて、自分の思考をして、自分のことばを話していた。そこに何の不自由も不都合もなかった。なぜなら、たいていの子どもがそうであるように、子どもの夏休みは社会全般の生産的思考や生産的行動とは無縁のところにあるからだ。
 
もちろん、学校から示された「正しい夏休みの過ごし方」や「宿題」といった多少のしがらみはあるにせよ、そんなものは「形式的」なものだと半分わかってるので、ちゃんと「形式的」にやっておけば何も問題がない。
 
それ以外は、数少ない友達と「いかにこの無駄な時間を無駄に過ごすか」に費やすことができる。

               * 

ある夏休みには同じクラスのS君と「ラジオをやろう」という話しになった。その頃はまだインターネッツなんていう魔法はなかった(存在はしてたらしいけど、デューク大学の学生でもない日本の小学生には宇宙ぐらい遠かった)ので、リアルにトランスミッターを使って超ミニFM放送をやるのだ。
 
なぜか僕の家に、父親が買ってきて放置されていたラジオ一体型トランスミッター(謎製品)があったので、それを送信機として使う。もちろん、アホな小学生(小学生男子はたいていそうだけど)だった僕らは電波法や放送法なんてものは、ペンギンが小石を食べる生態だってぐらい知らないものだった。まあ無敵である。
 
ラジオをやると言ったって、番組がどうやってつくられるのかも知らないし、機材といえば他にプレーヤーとマイクぐらいしかない。とりあえず、何かレコードをかけて「クラスの奴らに新しいあだ名をつけようのコーナー」とか適当なしゃべりをするだけだ。

 
一応、S君がディレクターで僕がDJということになった。ほんとうはミキサーとブースターも欲しかったけれど買えるわけもないので、そこは妄想でなんとかした。僕とS君の世界では、それなりに盛り上がった放送になったのだけど、放送しながらふと何かが気になった。
 
 
……この放送、誰が聞いてるんだろう。
 
僕もS君も、とにかく「ラジオをやろう」ということだけ考えていて、自分たちで番組らしきものをつくるのが楽しくてリスナーの存在なんて1ミリも考えてなかったのだ。
 
どうやらその当時のトランスミッターは、ごにょごにょすればうっかり100mどころか1~2Km電波を飛ばせる仕様だったようだけど、実際はどれぐらいの出力だったのかはわからない。
 
S君に放送を任せて、僕が外に出て携帯ラジオで電波を拾ってみた。
 
76.5MHzだったか77.6MHzだったか。それぐらいの周波数に合わせてみたけれど、巨大な雷雲みたいな雑音をちぎっては投げる音が聴こえ、その合間に微かに僕らの番組でかけているYMOの曲がときどき苦しそうに顔を出して聴こえてきた。
 
僕はS君に「聴こえてる聴こえてる」とだけ言った。S君はべつにリスナーがいるかどうかはどうでもいいみたいで、それでも楽しそうだった。
 
そんな感じで僕らの「意味のない時間」は過ぎていった。それだけの話だ。何が言いたいのかといえば特にない。ただ、夏の僕らには意味のない時間のすべてが愛おしかった。学校がどうのこうのというより、意味のない時間との別れが切なく辛かった。
 
                *

ほんとうは、こういう話は「#8月31日の夜に」なんかに合わせて書いたほうがいいのかもしれないけど、なぜか今、書きたくなってしまいました。こういう、ちょっとズレた大人もいるんだということです。