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ライブや舞台を観るのに予習は必要か問題

たまにありませんか? 人から誘われたり、チケットをもらったりでまったく知らないライブや舞台を観にいくっていうケース。

こういうとき考えてしまうのが、一応、予習ってしておいたほうがいいのかどうかについて。

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自分が好きなものは、当たり前だけど日常的に追いかけてたりして情報に接してるので、あらためて予習するって概念そのものがないわけです。

あと、自分から気になった映画なんかも「観たい」と思った時点で、すでに何らかの情報が自発的に吸収されてるわけだから「予習」とは違いますよね。

じゃなくて、まったく予備知識のない状態で「観る」ことになったライブや舞台。選択肢は三つあるかなと。


選択肢《1》
ライブなら代表曲を覚えたり、舞台ならあらすじや背景、コンセプト、出演者のプロフィールなんかも予習していく

選択肢《2》
とりあえずサイトぐらいは見ておく

選択肢《3》
なにも予習しないでそのまま観にいく


ふつうは「予習していったほうが楽しめる」って言うけど、本当にそうなのか。なんか、偶然性に近い感じで観るのに「予習」していくって矛盾なような気もしませんかね。

これって外で食べる店選びと似てるような気もするけど、ちょっと違うんだろうな。

店選びなら、まったく調べないで飛び込んでも、お腹が減ってれば「食欲」という本能が引っ張ってくれるので「わからない」「消化できない」ってことは、まあ余程のことがない限りないと思うんです。

たとえば「こちらギョメテラウスになります」って店員さんに言われて、出てきたものが紫色のどろっとしたシチュー状のもので、ときどき中に入っている小さな粒がピンク色に光って、スプーンで口に運ぶ途中で「ピロピロ」って音が出て「えっ」てなることってない。


けど、それがエンターテインメントやカルチャー要素になると、飛び込んだはいいけれど「え、なになに? これどうしたらいいの?」っていう状況に陥らないとも限らない。それって苦しいですよね。

周りがみんなその場に溶け込んで、場の空気を楽しんでるのに何重にもぼっちの空気に囲まれて居ないといけないなんて。

けど、あえて「なにも予習しないで観にいく」という選択をして、それでも「すっごい楽しい!」と思えることもあるから選択肢《3》も捨てきれないんですよ。

そういうのって、そもそもつくられてるもののクオリティが高いのと、こっちがフラットな気持ちで「そのままを楽しめればいいや」っていう変な期待も心配もしないときに発動するキセキみたいなもの。個人的には、そっちのほうがいいかもなぁ。

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妻にも聞いてみると、人から誘われたりしたやつはあらすじは一応読むけど、読まないこともあるという答え。けど「どんな箱(会場)かは調べる」らしい。なるほど。

ただ、箱のレビューは「たまたまその人があたったスタッフとか、その日の客層でぜんぜん違うからまったくあてにならない」らしいです。

予習はしても楽しめることもあるし、しなくても楽しめることもある。にわかになるよりは、それぐらいの緩さでいいのかもしれないですね。そこから本格的に好きになれば、ほっといてもいろいろ吸収するんだし。

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