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noteという大都会の歩き方

あらためてnoteって「何か」感じるものが多い場所だなと思う。

いまどき、運営側もユーザー側もいい意味で「割り切ってる」ところがほとんどな中で、こうやって「割り切れない」ことを対話的に(ここ大事)考えられるメディア、プラットフォームって少ない気がする。そこそこ開かれた世界ではね。

きっかけはヤマシタ マサトシさんのツイートからの記事。僕も読んで前から思うところと重なるのがあって。

決して運営さんとか中の人にクレーム的に絡みたいわけじゃない。むしろnoteっていう存在そのものには感謝しかない。

noteにしかない空気がなければここにいられてないのは確か。その空気の素になるものをデプロイしたのはnoteさんなのだから。

これまでもこれからも、基本的にはnoteが「開かれてるけど居心地いいプラットフォーム」として在ればいいなというだけ。

そうじゃない感じがしたときは、僕ごときが偉そうに「こう感じてる」を記事に書いたりもした。決してポリコレ棒でも正義の拡声器でもなく。

もちろん自分が正解なんて1ミリも思わないです。どっちが正しい正しくないじゃなく、noteの生態系でしか育たないものを大事にしたいなということ。じゃなければ別にnoteでなくていいじゃんになってしまうから。

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noteの中の人(この定義もいろいろあるけど)が「初心者向けnoteノウハウ」としても読めてしまうものを個人のコンテンツとして有料販売する是非は正直よくわからない。

有料ウォール的な意味合いがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。それよりnoteにおける推奨行動とNG行動をがっつり規定するほうがもやっとする。

初心者であるほど素直であるほど、それを単純に「最適解」と捉えて真似るだろうから。もちろんクリエィティブな文脈での「真似る学ぶ」は否定しない。

けど、そこで「これとこれを押さえとけば読まれるしシェアされる」が強すぎると「そういう記事」が結果的に量産されてしまう。クリエィティブはどこ行った? になる。

もちろんクリエィティブなんてそれほど意識なくてnoteのプラットフォームの有能さでユーザーになる人もいる。

昔ののどかな「村」だったnoteが月間アクティブユーザー(MAU)1000万人、1日の投稿数1万超えの大都会に発展したのだから、いろんな人がそこに魅力を感じて集まるのも当然だと思う。

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どんなサービスも永遠なんてものはないし変化もしていく。新しい住人が暮らし始めると街も変化する。行き交う人が増えればそこにお金やビジネスの絡んだなんやかんやも集まる。これも自然なことだ。

僕も2015年ごろのnoteの牧歌的な空気も好きだったし、いまの毎日すごい数のユーザーが行き交うすっかり大都会になったnoteもそれはそれで刺激がある。

ただ、なんだろう。大都会なんだけどギラギラした人ばかりでもなく、読まれることとシェアされることばかり考えてるのでもなく、人生の豊かさ(あえての表現だけど)も感じられる街だといいなと思ってる。ただそれだけなんだ。

そういう意味でも今回のヤマシタ マサトシさんの記事と「みんなの意見が聞きたい」の考えるきっかけというか投げかけはnoteじゃないと成立しなさそうだし(他のメディアやプラットフォームならダークで不毛な未来しか見えない)、それ自体がnoteの良さなんじゃないのかな。

その上で、noteには個人とメディアやプラットフォームの関係とか、そこから創発的に生まれる新しい次元のものとかで、既存の関係性とか概念性を超えていける可能性があると感じてます。だからこそ、ね。

他にも考えることがあるんだけど果てしなくなりそうなので、戯言として。