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孤独と一緒に生きていてよかったと思えた日

通りすがりの誰かの言葉に立ちすくむことがある。ほとんどの場合は、一瞬ハッとして世界がどこかに飛んで、でも、すぐまた元いた自分の視界に戻っていく。まるで閃光を受けたあとのように。

だけど、今回はそうではなかった。立ちすくみ、本当にしばらく動けなかった。仕事の原稿があるのに、それより大事なことが「いまここ」にあるような気がしてずっと考え続けることになったのだ。

その「言葉」の持ち主は、わざわざの平田はる香さんだった。
『BAMP』に掲載された記事を「読む」というより引きずり込まれた。

わざわざさんのことは2016年に僕らが信州に移り住んだときから知っていた。“山の上”にあるお店にも買い物に行った。うちの村から車で約40分。ちなみにこの距離感はこの辺では「近い」。

ただ、最初に訪ねたときはまあまあ道に迷った。長野の山道はときどき時空が歪むので、ナビがとんでもない場所に連れて行ってくれることがたまにある。そのおかげで東御の御牧原台地の「どこでもない空気感」を感じることができたのだけど。

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それはともかく、最初、僕らはわざわざさんの経営者が平田さんであることをよくわかっていなかった。そもそも女性だということすら知らなかった。そういう人は僕の周りにも結構いた。

べつに気になったお店の経営者がジェンダー的にどうであれ、自分が好きな店、気になる店ならそれでいいのだけど「何か」が引っかかっていたのだ。

なんだろう。お店は、本当に店主の平田さんのこころに触れたものしか置いていない。その中には、万人がうまくコミットできないけれど「いいもの」もたくさんある。いい意味で人を選ぶ。

そのパンや商品たちの孤高さというのか、ある種の孤独な佇まいがすごく気になった。そういう店を、あの場所でもう何年もやっていて、オンラインストアでも買えるのに、文字通りわざわざ店に買いに来るお客さんが年々増えているのだ。

同じ東信エリアという地元に暮らしていて、一応自営業をしている人間からすれば奇跡の店なのだ。わざわざさんは。

そののち、自然な流れで平田さんが発信している半端ではない言葉にも触れるようになり、ああこの人は「わざわざ」という店を経営してるだけではないんだ。自分を生きるためにわざわざという店を経営してるんだという感覚が朧気ながら伝わってきた。

その感覚を確かめたくて今年(2018年)の1月に新潟のツバメコーヒーさんで開かれた、わざわざさんの「決算発表会(!)数字で読むわざわざ」にも足を運んだ。

初めて平田さんの生の言葉を浴びて、結構な傷も負った。ああ、この人は争いなんか大嫌いで、すごく平和な営みを望んでいて実際にそうしているけれど、そのために闘っている人なんだと。

他の誰かを引き合いに出して自分を語る人が多い中で、平田さんはそれをせずに「自分たちのいいことだけを言おう」と腹に決めていた。潔かった。潔すぎてそれができていない僕は、生の平田さんの言葉に撃たれすぎて、こころが血を吹きそうだった。

すべての基準は自分。そんな当たり前のことを深く楔のように打ち込んだ。この人、絶対、みんなが言葉を欲しがる。そう思ってたら、やっぱり夏ぐらいに平田さんのnoteがすごいことになって、今では全国ツアーまでしている。

だけど、そこじゃない。平田さんは、本来の自分が愛すべき自分の孤独にちゃんと収まるために、いまを生きている人なんだと勝手に思っている。

『BAMP』の記事でも平田さんが欲しい「自分ひとりの部屋」についての、土門蘭さんからの問いにこう答えている。

うん、闇ですね。「孤独」は闇に吐いて捨てるもの。真っ暗で、扉のあかりもないイメージ。そこでひとりひっそり佇んで、ただ時が流れて消化されるのを待つっていう。私には「寂しい」とかいう感情はなくて、深い闇しかないですね。

ツバメコーヒーさんでのトークでも、「お昼がおいしくなかったらつらい。だから絶対、自分がつくる。賄い食堂のおばちゃんになりたい」と話していたけれど、それは本心だと思った。

それでもいいのだ。自分の世界が孤独とフィットするのなら、他のものなんて自分の世界に入れたくない。そんな経営者がいてもいいし、そういう人がつくる店だからこころが動く。

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孤独はときに温かい。孤独は幸せの対義語でもなんでもなく、自分そのものなのだ。無暗に消すものじゃない。

だから、こころに自分だけの孤独の火を灯せばいい。その火はどんなに世間の風がキツくても同調の嵐が吹き荒んでも消えることがない。

それは誰も入れない自分だけの闇を灯す消えない灯りだから。
何があってもその孤独の火を確かめることができれば、自分の居場所を見失わずに済むから。