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『サマーウォーズ』の里で暮らしてわかった大事なことば

この夏、10年の時を超えて映画『サマーウォーズ』の仮想世界『OZ』が現実になり「よろしくお願いしまぁぁぁすっ!!」てなってるけど、そっちは公式さんにお任せして。


あれからもう10年なのか、まだ10年なのか。時間軸がよくわからない。

2009年の初夏。半蔵門のTOKYO FMホールの試写会で『サマーウォーズ』を観たときは、まさか自分が10年後、映画の舞台、信州上田のお隣で暮らすことになってるとはもちろん思わない。

地元の人に言わせると映画『サマーウォーズ』の里と呼ばれても、そんなにピンとは来てない感じで「あ、まあそうだね」ぐらい。だからって嫌なわけでもなく、そのあたりは県民性なのかもしれない(雑)。まあ、いろんな面でクールなのはわかる。

実際に、こっちで暮らしてみて『サマーウォーズ』の脚本に秘められた(あるいはそっと入り込んでしまった)メッセージのリアルみたいなものは実感する。

世界がどうなろうと、システムがどう振舞おうと、根源的に大事なものは大事なんだという「ことば」を信州のこの地で感じるのだ。直截的なことばだけじゃなく(むしろそっちのほうが多い)、なんでもないような出来事の中で。

「家族同士で手を離さぬように、人生に負けないように、もし、辛いときや苦しいときがあっても、いつもと変わらず、家族みんな揃って、ご飯を食べること」


夏希の曽祖母、陣内家当主の栄おばあちゃんが戦いを前にみんなに残したメッセージも、こっちであらためて受け取るとほんとに自分がそう言われてるように聞こえるから不思議だ。

何かあったときの家族の結びつき。

最近は、家族という形態の有害性やストレスのほうが語られるけど(機能不全家族の話は別として)、そこには人間が「生きよう」としたときに、理屈じゃなくいちばん近いところでエンパワーメントされる原型みたいなものがある。

この場合の家族は何か大事なものを伝え合ってるという意味でもそうだと思う。

『サマーウォーズ』の舞台、信州のこの辺りの家族の人たちを身近に感じるようになり、なんだかそこは2010年代になっても受け継がれてるんじゃないかと思うのだ。

だからっていつもいつも家族に縛られてるわけでもなく、どちらかと言えば結構、個人がそれぞれ好きなことをやってたり言ってたりする。まさに陣内家だ。けど、いざとなれば自分たちの大事なものを守るために絶対に集結する。その、なんていうか根っこの確かさみたいなのはすごい。

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もちろん、家族なんて全面的に面倒くさいし害でしかないという人もいるし、そこにはそれぞれの事情があるからなんとも言えない。それでも『サマーウォーズ』の根底には、何か人を力づける源泉に通じるものが流れてる気がするのだ。

あと、映画のラストのようにほんとにこの地域は何かインパクトがあれば温泉が噴き出しそうな気配は感じる。何気に温泉多い。

映画の中でことばに表されてるメッセージは、とてもわかりやすいけれど、そのわかりやすさは大事なことをそぎ落としたわかりやすさじゃない。きっと誰もが、こころのやわらかい部分に持ってるものだ。

だから、公開から10年経ってもまた映画の前に集まりたくなるのだろう。そこには大きな意味での家族の姿がある気がする。