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見たいものを、見せてあげる②

昨日こんな記事をかいた。

その続きで、食に関する情報を伝えることの難しさ、について書こうと思う。



食に関する情報を正しく伝えるのは難しい。文化的な側面を無視できないからだ。試しに子どもの頃によく食したごはんや、忘れられないごはんのことを思い出してみて欲しい。そのごはんに正しさの判断をつけることができるだろうか。

ちなみにわたしが忘れられないごはんは、子どもの頃に祖母がよく作ってくれたポテトサラダ。正確にはマッシュポテトだと思うのだが、本人がそう言っていたのでそういうことにしている。フレーク状になったマッシュポテトの素というものがあって、そこにお湯とバターと砂糖を混ぜたもの。祖母がこの料理を出すと母は顔をしかめていたが、子どもの頃に食べたこの味が忘れられなかった。たまに思い出して作ることもある。

なお、わたしの母はかなりの健康思考である。そして芋もあまり好きでないらしいし、インスタントみたいなものなので顔をしかめる理由はわかっている。似たような祖母自慢の料理にマカロニサラダもある。マヨとお酢と砂糖ね。
どちらも思い出す味だけど、完璧に再現すると今の味覚ではおそらく食べきれないので調味料は加減します。

何が言いたいかというと、もしこの料理を「体に悪いからやめなさい」と言われたら多分わたしはイラっとする。それは善意なのかもしれない。色々わかってはいるが、これまでに食べてきたものを否定されるとなぜか反論したくなる。物質的には炭水化物と脂質の塊に見えるが、ふしぎと、思い出も一緒に食べているようだ。

人は食べたものでつくられている。物質的な意味合いだけでなく、文化的な意味合いも含めて。食事指導の現場では常にセンシティブな個人情報をはらんでいる。伝え方を間違えると次の面談の機会はなかなかやってこない。つい科学的な正しさを押し付けてしまいたくなる気持ちもわかるが、そのやり方でいいのだろうか。

科学的に正しい情報を、相手に迎合することなく受け入れやすい方法で伝える。EBMとNBM、どちらも補い合えるようになればいいのに、なんて多くを望みすぎなのだろうか。

食に関する情報を正しく伝えることは難しいことなのかもしれない。だからといってそこに目をつぶりたくはない。管理栄養士として伝えたいことを、相手が受け入れやすい方法で伝えたい。


見たいものを、見せてあげる


ここまで書くと、映画の方とはだいぶ意味合いが違うフレーズになってしまった気がする…。ゆるしてちょ。

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