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誰かの何気なく発した言葉で救われることもあれば、誰かの何気なく発した言葉で傷つけられることもある。

SNSとは不思議なもので、とてつもなく遠い距離の誰かと同じ体験を共有できたり、同じ時間を過ごすことができたり、会話だってできてしまう。まだ会ったこともない誰かと、まるで前から友達だったかのように、一緒に喜びを感じたり、一緒に悲しみを味わったり、一緒に問題を考えることもできる。

君がどういう人なのか、どういう生い立ちの人なのか、どういう価値観を持った人なのか、本当は何も知らない。本当の名前も、誕生日も、血液型も、生まれ育った故郷も、何も知らない。でもこの世界はそれでいいのだと思う。たった今この瞬間を一緒に感じることができれば、味わうことができれば、考えることができれば。

人と違うことをするには私にとって勇気がいる。ここでいう人というのは、自分の周りにいる友達や家族のことだ。当たり前のことだが、名前も誕生日も血液型も知っている。同じような環境にいるからこそ、意見も近いし価値観もだいたい同じ。一緒にいれば落ち着くし、いわゆる安心・安全・安泰のぬくぬくだ。そういう場所があることを私は心から幸せに思っている。
誰かと一緒だと思えることで安心感が生まれ、私もそれ分かると言われれば共感が生まれる。誰だって一人じゃないと思いたい。

そんな環境で育ってきたからこそ、安心感や共感がないと少々不安に感じてしまうことがある。周りで同じことをやってる人がいなかったり、その場で同じ気持ちになってくれる人がいなかったり。"私がやりたいからやっているんだ!"と胸を張って1本の芯のようなものが持てずに、すぐにぐらぐらと揺れてしまう。私は自分に自信がないのだ。

だからこそ一人で楽しめる何かを知っていたり、一人で行く穴場的な行きつけのお店を持っていたり、一人旅をしている人にはとても憧れる。きっとこういう人たちは自分の好みや思考を直感的によく知っていて、一人の時間を楽しんだり、いく先々での様々な出会いを楽しみにしているに違いない。一人を上手に楽しめているのだ。


私が体調を崩してから始めたことの一つがSNSだ。この世界は私にとってとても刺激的なものだった。いつどこにいても情報が得られるし、今まで通り過ぎていた小さなお店が素敵な場所だと気づかせてくれたり。自分は今どんなものに惹かれているのかを客観的に把握するにはとても分かりやすいものだった。

周りには同じことをしてる人がいなくても、#を辿れば同じ好みの人にすぐ出会う事ができた。さらに辿った先で一歩踏み出してみたら、年齢はもちろんのこと、職業も趣味も価値観も全く違う人たちと知り合うことができた。気づけば毎週足を運ぶようになり、いつしかそこは私の行きつけのお店になっていた。
SNSで私の世界は間違いなく広がり、自分自身を知る良いきっかけになったのだ。


中には目先の数字や人数に惑わされ行動する人もいると思う。私も♡がひとつ増えると、人数が一人増えると、なんだか自分自身を褒めてもらえた気がして嬉しかった。なんだか自信も持てた気がした。でもそれは手の平に収まってしまう世界でのこと。下から上へいつでも流されていってしまう世界でのこと。

もちろんその世界もいいと思う。でもその世界"だけ"にはならないほうがいい。もしかしたら明日、あの一瞬を一緒に共有した君が何も知らないまま、何も言わないまま、その世界から消えてしまうかもしれないから。



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