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毎日の習慣と句読点。

ほぼ日5年手帳を書きはじめて1か月が過ぎた。

もうずいぶん習慣になっていて、ぼくの場合は出社してすぐの朝の時間に、前日の出来事やそこで思ったことを書くようにしている。たとえば今朝書いたのは、昨夜出席した「ほぼ日の学校」の話だ。なんのストレスもなく、おそらく5分もかからず、さらさらと書く。

こういう話を書くと、いけすかないライフハック野郎みたいになりそうで嫌なんだけれど、けっきょく習慣とは「一日のどこにそれを入れるか」が大切なんだと思う。朝、起きたら歯を磨く。ぼくの場合はシャワーも浴びる。会社に着いたら手帳を開く。時間が許せばそこから note を書く。食後のコーヒーだってそうかもしれないし、晩酌という時間だってそうだろう。要は、「それがなければ一日がはじまらない」や「それがなければ一日が終わらない」を増やしていくことが、習慣をつくることなのだ。もちろんこれは「コーヒーがなければ『食事』が終わらない」でもいいし、「冷えたビールがなければ『仕事』が終わらない」でもいい。

おそらくここで、そんなルールだらけの毎日は息苦しくないのか、という意見も出るだろう。もっと自由にのびのびと、なにも決まっていない時間をおれは過ごしたいんだよ、と。

けれどもまあ、習慣とは文章の句読点やカギカッコ、疑問符や感嘆符みたいなもので、それのない人生(文章)は自由なようでいてひどく不自由なものじゃないかと思ったりしている。

そんなことを書き終えていま、コーヒーを淹れるかそのまま取材に出るか、迷っている。コーヒーを飲んでから出かけたほうが、きっと書き終えた感があって気持ちいいんだろうけど、どうやらその時間はなさそうだ。