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がんばれ男の子

過去の仕事を振り返ってみたとき、あれはやっておいてほんとうによかったなあ、と思う仕事がいくつかあります。

もちろん、「あの本を出せたのはよかった」とか「あの人に話を聞けたのはよかった」とか、個別のお仕事についての思いもいろいろあるのですが、たぶん生活人としていちばん糧になっているのは、若いころに女性ファッション誌のお仕事を経験できたことです。

ぐるり見渡す編集部は、フロアのほぼすべてが女性。担当についた編集も、雑誌から飛び出してきたモデルみたいな格好をしてる。おお、かわいい子でよかった。なんて鼻の下を伸ばす暇すらないほどてきぱきと、今回の特集に関する的確なディレクションをおこなう。テーマ、読者層、ここ最近の傾向、タブーとなることば、おさえてほしいポイント、などなど。

ぼくも30歳くらいの、いちばん鼻っ柱が強く、調子に乗ってたころで、企画力にも原稿にも、過度な自信を持ってた時期でした。「はっはっはっ、ぼくが女性ファッション誌ですか。まあ、やらないことはないけど、ひとつプロの仕事ってものを見せてあげますかな」くらいに引き受けた仕事だったのに、見事な先制パンチを食らい、こりゃあすげえや、かなわねえよ、と感服したのを覚えています。

いちばん驚いたのは、彼女たちの目に「うちの読者」の姿が、しっかり映っていたこと。これ、当たり前のようでいてなかなかむずかしいことなんです。その前後にも一般誌と呼ばれるタイプの雑誌、あるいはビジネス誌の仕事はたくさんやりましたが、どの編集部も意外と「うちの読者」が見えておらず、ぼんやりとした「ビジネスパーソン」とかを想定しながら特集を組んでいたように思います。

じゃあどうして彼女たちに「うちの読者」が見えていたかというと、たぶん彼女たちが「わたし」や「わたしの友達であるあの子」に向けて誌面をつくっていたからだと思ったんですね。トレンドなんて、ある意味どうでもよろしい。なぜならわたしはファッション好きなプレーヤー(消費者)のひとりであり、そのわたしが「いい」と思うものは、読者のみんなも「いい」と思うはずで、わたしは読者の代表であり、大衆のひとりなのだ。みたいな読者とのフラットな関係を、そこに感じたのでした。

そしてきっと、見知らぬ読者とそういう関係をつくるのは、女の子たちのほうがずっと得意。男はどうしても大衆操作的な発想をしがちになっていく。ぼくが最近いい仕事してるなあ、と思うライターさんも、女性の比率が高くなっていて、そりゃあそうだよね、という気がしています。

また一方で、がんばれ男の子、とも。