推敲と一発録り幻想

ロック・ミュージックの世界には「一発録り幻想」とでも呼ぶべき、なかなか厄介なファン心理があります。

たとえば、若かりし日のレニー・クラヴィッツが当時ガンズ・アンド・ローゼズに在籍していたスラッシュを招き、「Always On the Run」という曲を収録したときのこと。

軽く音合わせをしたあと、「じゃ、とりあえず1回通して弾いてみるか」みたいな感じで、スラッシュにギターを弾いてもらったそうなんですね。そうすると、これがまあ荒々しくもソリッドな、緊張感あふれるとんでもない演奏で、レニーは「最高だな! ありがとう、これでいくよ」と一発OKを出したんですって。

ところがスラッシュは「いや、いまのは練習だ。あと100回くらい演れば、もっといいテイクが録れるから」と言い張る。レニーのほうは「ははは。お前があと何百回弾こうとオレは一向にかまわんけど、使うのはさっきのテイクだからな」と笑った、そして実際の「Always On the Run」には1回目のテイクが使われた、というお話。

こういうのを聞くと、ロック・ファンの大半はレニーの判断に喝采をおくるわけです。何十回、何百回と録りなおされた音よりも、初期衝動そのままに荒っぽく一発録りされた音に「ロック」を感じる。加工や修正がほどこされた音には、その完成度に惚れ惚れしながらも、どこか非ロック的な「嘘」を感じる。みんなが楽器を持ち寄って「せーのっ!」で録った音に必要以上のありがたみを感じる、そういうファン心理です。

でも、どうなんだろう。このファンとしての「一発録り幻想」って、音としての緊張感やリアリティを求めているというよりも、「これは一発録りである」という〝物語〟のほうを求め、ありがたがっている側面が強いんじゃないのかなあ。

このところ、絶賛進行中の大きな原稿をひたすら書きなおしているのですが、やっぱり時間をかけてなおすほど精度はあがっていくし、これで「第一稿のほうが荒々しくてロックだよ!」なんて判断でそっちを出版されたら、全力で阻止するだろうなあ、と思ったのでした。

椅子の上にも3円。
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古賀史健

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コメント4件

笑ってしまった。納得です。
すごいいい話。というか共感できる話。ミュージシャンである私も大昔からこの問題に頭を抱え続けています。
私なりの結論は、提供する側のポリシーが一発録り至上主義なら一発録りが、そうでないなら1万テイク側がそれぞれ正義であるという考え方です。
ポイントは主導権は常に提供する側にあって、リスナーはその良し悪しを判断する立場にしかいない、という点です。
詭弁ともとれますが、このテの問題を考えるときリスナーに主導権を与えてしまうと収拾がつかなくなる、という割とシンプルな割り切りでもあるんですが。
「じっくり推敲した文章である」というのも「物語」になりうるなあ、と思いながら読みました (^^)
微妙な問題な気がします。推敲に推敲を重ねた経験のある人が、非常な緊張感を持って一発録りをするからいいものができると思います。普通の人がやると、ただの手抜きにしかならない。
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