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比喩のうまさとオノマトペ

きのう、イギリスの音楽紙「NME」の日本語版サイトで、こんな記事を見つけました。

リアム・ギャラガーやポール・ウェラーらのミュージシャンが、「ジョン・レノンのなにがすごかったか」を語る記事です。このなかで、ポール・ウェラーがこんなふうに言ってるんですね。

そして “Twist And Shout”や“Money (That’s What I Want)”、“Dizzy Miss Lizzy”、“Bad Boy” といった曲では見事なシャウトを披露して、名だたるロックンローラーの一人としての地位を確立した。まるで、レコーディングの前にカミソリの刃でうがいしたみたいな声だろ。

ジョン・レノンという人のシャウト、これは常々ぼくもすげえなあと思っていて、たとえばチャック・ベリーのカバーである "Rock and Roll Music" という曲。これ、普通に歌ったら(原曲も)能天気な、マンボみたいなノリになるはずなんですよね。ところがジョンが歌うと、こうなっちゃう。

たった2分半の曲なのに、喉が破れんじゃないかと心配になるくらい叫んじゃうんですよ。でもなあ、ポール・ウェラーの「レコーディングの前にカミソリの刃でうがいしたみたいな声」って比喩はぜったいに思い浮かばないなあ、と感心したんです。

これは「どうして西洋人は気の利いた比喩をたやすくひねり出せるのか?」という疑問であり、同時に「どうして(日本人である)ぼくはそれができないのか?」の問いでもあります。

で、あれこれ考えた、とりあえずの答えが「オノマトペ」でした。

イギリス人がおもしろい比喩をつかってその状況やニュアンスを説明しようとするとき、たぶん同じ場面でぼくらは、的確な擬音語・擬態語を探し、それでニュアンスを伝えようとするんじゃないかと。つまり彼らにとっての比喩は、ぼくらにとっての「ぶゎあーっと」とか「がんがん」とか「どーんと」とかと同じ位置にあるんじゃないのかと。

日本語の特徴のひとつとしてオノマトペの多さを挙げる人は多く、たいていの場合それは日本語の「豊かさ」として語られるものですが、一概に「豊かさ」といえるのか、ちょっとわかんなくなってきました。オノマトペが少ない国に生まれていたら、おのずと比喩がうまくなっていたのかもしれません。

しばらくオノマトペを控える生活を送ってみようかなあ、とか思っています。