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決算期を前に考える。

うちの会社は、今月が決算期である。

1月に設立した会社なので、もともと12月を決算期としていたのだけれど、個人の確定申告と会社の決算が重なって毎年わちゃわちゃになるぼくの惨状を見かねた税理士さんから、「決算期を変えましょう」とのご提案を受け、それ以来6月決算としている。

むかし感銘を受けた『社長失格』という名著(編集は柳瀬博一さん)を思い出す。いま、ぼくは今期の売上をなんにも知らない。どころか、赤字なのか黒字なのかさえ知らない。さすがに赤字じゃないだろうと高をくくっているものの、それとて怪しい。せいぜいぼくが知っているのは、ぼんやりとした通帳残高だけだ。


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いま、ものすごくたくさんのお金が手元にあったら、どうするんだろう。

海をのぞむ気持ちよさげな場所に、ドッグラン付きの一軒家がほしい。辺鄙すぎず、都会すぎないどこかに、犬とあそべる秘密基地がほしい。ちゃんと調べたことはないけれど、たぶん年末ジャンボ宝くじ一等賞ぶんくらいのお金があれば、じゅうぶん実現する夢だろう。

じゃあもっと、たとえば20億とか30億とか100億円とかのお金があったとして、自分はなにがしたいのか。プライベートの夢(ドッグラン付き一軒家)は最初の数億で叶っているわけだから、会社をぼくはどうしたいのか。

これが、さっぱりわからないのである。

もちろん、「20億あれば、20年は安泰だね」みたいな考え方もできるのだけど、それを使い途と呼ぶのはちょっと違うだろう。ましてやプランではないだろう。おおきなオフィスに越したい気持ちもあるけれど、いまのオフィスでじゅうぶん満足もしている。何十人という社員を雇ってみるのもいいけれど、その全員に目を配り、全員ぶんの原稿を確認するなんて、さすがに想像できない。たぶん5人〜10人が限度だ。やるべき設備投資も、これといってない。おれのやりたいことはここで完結しちゃってるのかもなあ、と思う。

一方、おおきなビジネスを考えている人にとっては、20億なんて一夜で消し飛ぶような「ぜんぜん足りない」の数字なんだろう。孫正義さんは「豆腐を数えるように一兆、二兆と言える男になりたかった」みたいなことを言っていたし。たかだか20億の使い途が(貯金以外に)思いつかないなんて、さみしい男じゃなあ、ちいさい男じゃなあ、なのだろう。


と考えて思い出すのが、やっぱり本なのだ。

20億や30億の使い途はまるで想像のつかないぼくだけれど、何十万部、何百万部という「本のひろがり」については少し、具体的な姿を想像することができる。たとえば100万部を超える本だって、まだまだつくりたいと思っている。そこから生まれる「ひろがり」は、そんじょそこらのビジネスよりも豊かだし、愉快だと思っているのだ。