わたしはこんな本をつくりたい。

きのう、編集者との打ち合わせが雑談に差し掛かったころ。

よくある話の流れとして、「これからどんな本をつくりたいですか?」という質問を投げかけられた。もともとぼくは(現在進行形の仕事とは別に)いつも最低3冊の「いつかぜったいやりたい仕事」を頭の片隅に置いておくようにしている。それは「あの人のこんな本をつくりたい」でもいいし、「自分がこんな本を書きたい」でもいい。とにかく3冊。できれば5冊。自分発の、なにがなんでもやりたい企画を空想し、常時更新させている。

そしてきのう、ばかなやつだと大笑いされてもいいからと思い、ある企画についてはじめて口にした。



「うちの犬を表紙にした本をつくりたい」


内容はなにも決まっていない。ただ、うちの犬、ぺだるを表紙にした本がつくりたい。もちろん読者が自分しかいないような、愛犬の溺愛成長日記みたいなものではなく、できれば犬から遠く離れた本。そして犬が、凄腕の写真家に撮影していただいたうちの犬のまぬけな風貌が、なんらかの意味をもってそこにおさまっている本。

たとえば黒猫を表紙に据えたミステリー小説などは、おおいにありえる気がするし、たぶんすでに出回っているものと思われる。静かに、忍び足で、傍観者のように、ただ「そこ」にいる猫とミステリーの相性は、驚くほどよい。

一方で、落ち着きというものをひとつも知らず、一目散に駆け寄り、手加減なしに飛びつき、ときに吠えたて、あらゆるものごとに「ぼくもぼくも!」と割り込んでくる犬という生きものは、なかなかミステリーのメタファーになりえない。

犬を表紙にするとしたら、ぼくはなにを書くのだろう。ジャケ買いの逆算みたいな道筋をいま、ぼんやり考えている。それは「犬を犬たらしめるもの」を考える作業でもあるのだ。

この「表紙から先に本を考える」って作業、煙草でもコーヒーカップでも一枚の絵画でも、対象はなんだってできるし、たぶんおもしろいところに転がっていきそうな気がするんですよね。

桃栗三年、カキうまいねん。
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古賀史健