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本音を語ってもらう、ということ。

ビビビ婚、といって現在どれくらいの方々に通じるのだろうか。

念のために検索してみたところ、いまから20年前の出来事だった。国民的、といってもいいほどの人気を誇った女性シンガーが、交際2か月の歯科医と再婚した際、記者会見で述べたことばが「会った瞬間、ビビビッときた」だった。そこから彼女の電撃婚は「ビビビ婚」と呼ばれるようになり、それなりの流行語となったのを記憶している。

そんな昔話を思い出したのは他でもない。ぼくはきょうの午前中、歯医者さんに行ってインプラント手術を受けてきたのである。


どんなに親しい間柄であっても、たとえばイチャイチャ期の恋人同士であっても、お互いの口腔内をじっくり覗き合うようなことは、たぶんしない。いまさらフロイト的な口唇期の話を持ち出すつもりもないけれど、口のなかというのは基本的に「隠すべきもの」であり、すなわち恥部である。

ところが歯医者さんに行くとわれわれは、そんな「恥部」を無防備にさらけ出し、至近距離からじっと覗かれ、いじいじされる。清潔感と滅菌感にあふれたデンタルクリニック内で性的興奮をおぼえる人は少ないだろうけれど、それでも自分の秘密を打ち明けているような、妙な親近感や信頼感を抱く人がいてもおかしくないだろうなあ、とは思う。

同じ構造を利用してたくさんの人をだました新興宗教が、かつて存在した。検索に引っかかって面倒に巻き込まれるのは嫌なので名前は伏せるけれど、その教団は「足裏診断」という儀式によって有名になり、信徒を獲得していった。教祖が相談者(信徒やその予備軍)の足の裏を至近距離から眺め、まるで手相をみるように運勢や健康状態を言い当てる。ぼくがテレビで見たときその教祖は「きったねえ足だな! このままじゃ大変なことになるぞ」なんてな感じで相談者を罵倒し、これから生きるべき道を説いていた。お布施を強要したり、ご利益のあるなにかを買わせたり、そんなことだ。

これも足の裏という「恥部」をさらし、それを罵倒されることによって心がぐらぐらになってしまう人間心理につけ込んだ霊感商法だったのだと、理解している。ちなみにフリーになってまるでお金がなかったとき、この教団の出版物について、びっくり仰天な金額のビッグオファーをいただいたことがある。あそこでお金の誘惑に負けて引き受けなくて、ほんとうによかった。もしも引き受けていたら、その後のぼくの人生はまったく違ったものになっていただろう。


えっと、なんの話だっけ。

ああ、そうだ。ぼくは取材相手から「本音」を引き出すことは、それなりに大切なことだと思っている。けれどもここで間違っちゃいけないのは、さらけ出してもらうのは「本音」であって、「恥部」ではない、ということだ。優秀とされる一部の取材者は「本音」と「恥部」を混同していて、(極端なことをいえば)相手のおちんちんのサイズを聞き出すことが、「本音」を聞き出すことだと勘違いしていたりする。ぼくに言わせるとそれは、かたちを変えた足裏診断に等しい。

聞きたいのは、聞くべきなのは、相手の恥部ではない。

隠していたことさえ気づいていない、ほんとうの「本音」なのだ。