おとなの「いやいや期」。

いやいや期、突入である。

幼児の話ではなく、犬の話でもなく、最近45歳になった、ぼくの話である。なにに対する「いやいや」なのかというと、今日の note についてちょっと「いやいや」というか、書きたくないなあと思っている。毎日書いていると当然こんな日は定期的にやってくるし、それをわざわざ「ほんとは書きたくないんです」なんて書く必要はないのだけど、ちょっと「いやいや」の正体について考えることだったらしてみたい、と思ったのでこれを書いている。「いやいや期」なんてチャーミングなことばでごまかしながら。

ライターという職業を選んでいることもあり、ぼくは「書くこと」が大好きな人間だと思われることが多い。面倒くさいので訊かれれば「まあ、最終的には好きなんでしょうね」みたいな答えかたをするのだけど、たとえば映画やサッカーを観ることと、文章を書くことへの「好き」のありかたはずいぶん違う。前者が純粋な「たのしみ」だとすれば、後者はもうちょっと必要に駆られた能動だ。喉が渇いたから水を飲むとか、空腹に耐えかねて胃袋になにかを詰め込むとか、欠けているなにかの充足行動として「書くこと」があるような気がする。

欠けているなにかの正体は、基本的に「しゃべり」だ。

うまくしゃべることがかなわないため、そして文章として書いていったほうがラクに伝えられるため、ぼくは書く。もしも「しゃべりの達人」だったら、なにも書いていないとまではいかなくとも、ライターのような仕事には就いていないんじゃないかと思う。

そういうぼくに「書くことのいやいや期」が訪れるのはたぶん、ひとりでじっくり考えたいことがあるからだ。中途半端にことばを与えてしまったら、そこで考えが止まってしまい、せっかくの「考えたい」が消えてしまうからだ。

たぶんぼくはいま、じっくり考えたいことがあるのだろう。

こういうときのそれは、直接的な仕事のことではない。わかりやすい人間関係のことでもなく、人生計画的なことでもない。

なんなんだろうなあ、と思いながらいま、これを書いている。


ちょっと疲れた木曜日。休みやお酒が必要なのかもしれない。

出る釘は浮かれる。
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古賀史健

ライター。バトンズ代表。著書「嫌われる勇気」「古賀史健がまとめた糸井重里のこと。」「20歳の自分に受けさせたい文章講義」など。週日更新しています。http://www.batons.jp

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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コメント2件

初めまして、大和司と申します。沢山のフォロワー様をお持ちの古賀様に私のような者がコメントしてもいいのか迷いましたが、何か深い悩みを感じましたのでコメントさせて頂きました。
海か山、人の少ない自然の中で、何かを感じ取りながら過ごしてみてください。決して脳を止めない、ぼーとしない。常に自然を感じながらゆったりと過ごす。脳はインプットもアウトプットもしないと無意識のストレスを蓄積します(持論ですが)
お酒はその無意識のストレスを発散させてくれるので短期的に憂さ晴らしになりますが、繰り返すとただの未来へのワープになってしまいます。(何も変わらない)
恐らく、脳は何かの変化を欲している・必要としてる・危機を感じているetc...
霧が晴れる瞬間が早く訪れるといいですね。
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