あこがれる気持ち、あなどる気持ち。

先日ひさしぶりに toto BIG を買った。

なぜ買ったのか。答えは簡単だ。「6億円ほしいなあ」と思ったからである。いつもはそんな無駄金つかえるものか、と無視を決め込む toto BIG だけど、年に一度くらい手を伸ばす。そこに至る理由をより正確に述べるなら「おれも6億円ほしいなあ」であり、つまりはロイター通信なんかの「830億円当選の主婦、心境を語る」みたいな海外ニュース記事を読んだあと、よせばいいのに「おれもほしい」と欲をかくのである。

宝くじを例に語ると浅ましい話になってしまうのだけどこれ、意外と大事な話だと思っている。

たとえば、ビートルズという若者たちのまぶしすぎる活躍を見て、いったい何万・何十万・何百万の若者たちが「おれも」と夢見ただろうか。イチローという野球選手の活躍を見て、どれだけの子どもたちが「おれも」とグローブを手に取っただろうか。スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグの立身伝に触れて、どれだけの若者たちが「おれも」と起業に走っただろうか。


そしてここが大切なポイントなのだけど、ほんとに人を動かすのは「おれもこうなりたい」というあこがれではなく、「これなら、おれもできる」という若さゆえのあなどりなのだ。

誰かのことを無条件に尊敬し、神のように崇めるのもいいけれど、それだとたぶん、その場から一歩も動けない。あなどること。なめてかかること。入口としてのそれは、意外に大事だと思うのだ。

どうせ本気でやってみたら、先人たちを尊敬せずにはいられなくなるからね。

桃栗三年、カキうまいねん。
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古賀史健

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