見出し画像

名前という名の処方箋。

目がかゆい。鼻も出てるし、熱っぽい。

俳句を詠んだわけではなく、きょうのわたし、その短い報告である。典型的な花粉症の症状だと、自分でも思う。けれどもまだ花粉症だと確定したわけではなく、アレルギー検査をおこなったわけではなく、もしかしたら風邪の初期症状なのかもしれない疑念も、若干残る。

花粉症っぽい症状を抱えながら、なかなか病院に行きたがらないひとがいる。みんな口を揃えて「自分はぜったいに花粉症じゃないと言い聞かせて、やりすごすのだ。ここで花粉症を認めたら負けなのだ」と目をこする。ぼくも長らくそうだった。けれども近々、病院に行ってこようかと思っている。ちゃんとアレルギー検査を受けて、自分がどんなものにアレルギーを持っているのか、受け止めようと思っている。

おれは花粉症なんかじゃない、と言い聞かせながら生きる日々は、「もしかしたら花粉症なのかな? あるいは風邪なのかな? なんか体調崩しちゃったのかな?」と疑いながら生きるのと同義だ。自分という人間にもやもやを抱えたまま生きるのと同義だ。

だったらいっそ、医学・疫学的な見地から「あなたは花粉症なのです」と宣告を受けたほうが、もやもやも晴れて生きやすいのではないか。


そして実用書、自己啓発書、さらには占いから人生相談まで、お悩みを解消するコンテンツの多くは、「あなたは○○なのです」という診断によって、そのひとを救っているのではないか。「もやもやに名前をつけてあげること」が、お悩み解消の9割ではないか。


現役時代の秋山幸二さんは花粉症がひどく、スギ花粉のおさまる5月ごろから調子を上げるため、「ミスター・メイ」とか、「メイ秋山」と呼ばれていた。たぶん5月の絶好調には、「おれは花粉がおさまる5月になれば打てるんだ」という自己暗示もあったんじゃないかなあ。