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下を向いて歩こう。

自分という人間が、そのダメダメさが、思わぬかたちで露呈した。

豪雪の夜、渋谷駅に向かって、傘もささずにぼくは歩いた。降り積もった雪にざくざくと傘を突き刺しながら、下を向いて、雪を睨んで、ぼくは歩いた。どうしてこんなことになってしまったのだろう。自分のどこが間違っていたのだろう。考えながら、渋谷をめざした。

英語ではそれをビッグスノーと言うのだろうか。きのうの東京地方は、何年かぶりの大雪だった。気象庁からは警報が発せられ、都内のいろんなお店が早めに店じまいをし、多くのビジネスパーソンは残業することなくいそいそと、雪がやばいことにならないうちに、帰宅の途についた。ぼくもそうした。けれどもそうやって大勢が同じ目的をもって同じ行動をとろうとすると、どこかでかならず混雑が起こる。きのうの場合はそれが、渋谷駅だった。ぼくの利用する私鉄は、改札に入ることさえままならぬ入場規制がかかり、改札からヒカリエまで長蛇の列ができていた。ぼくは行列が大の苦手である。どんなにうまいと評判の店であっても、30分以上並ぶ必要があるようならあきらめる。そこで蓄積されたストレスが、ラーメンごときで解消されるとはどうしても思えないのだ。

行列を避けてぼくは、地上に出た。タクシーをつかまえようと道端に立つも、まるで見当たらない。日本交通のアプリをつかってタクシーを呼ぼうとするも「見つかりません」のエラーメッセージ。だったらもう、しょうがない。いったん会社に戻り、帰宅ラッシュの時間が過ぎるのを待つことにした。

ツイッターやネット上のニュースを眺めていると、雪はいよいよやばいことになっているようだ。もう会社に泊まろうか。そう断念しかけた矢先、いや、ここでしっかり帰宅できる男におれはなるのだ、と思いなおす。家に帰って、犬を撫でるのだ、と思いなおす。でも、どうすれば行列に並ばずして帰れるのだろう。ツイッターで流れる情報によると、1時間半から2時間並んでようやく乗車できるのだという。それはもう、吹雪よりもずっといやだ。

と、ツイッターで興味深い情報を発見した。なんでも入場規制がかかっているのは(その私鉄だと)渋谷駅だけで、次の駅まで歩いてそこで乗れば、いっさい並ぶことなく乗車できるのだという。

意を決してぼくは、次の駅まで歩くことにした。会社近くのコンビニで手袋を買い、それを両の手に装着してずんずん、歩くことにした。吹雪のなかを。転倒の危険に備え、ポケットに手を入れることもなく。スクランブル交差点を渡り、道玄坂をのぼり、傘を握りしめ、ニットキャップをかぶって、ずんずんずんずん歩いていった。


……と、ここまで書いてみて気がついた。これは昨晩起こった出来事についての、まだまだほんの序章である。こんな調子で結末まで書いていたらとんでもない一大長編ができあがる。そしていまのぼくにそれを書く時間はないし、たぶん読んでくれる人もいない(それくらいに長い)。とはいえ、これは今日のうちに書いておかないと忘れる類いの感情だ。なので、中略しながら先を急ごう。


(ここは八甲田山かと錯覚するレベルでの行軍)


へとへとになって次の駅まで歩ききったぼくは、さあこれで電車に乗れるぞ、と改札前に立った。びしょぬれになった手袋を外し、ポケットに手を突っ込んだ。suica機能付きクレジットカードの入ったキーケースを取り出し、改札をくぐるために。


あれ?


ポケットをごそごそする。手を出して、胸、腹、足を、ぱんぱん叩く。


え? うそでしょ?

この数年ぶりの豪雪のなか、なんとぼくは、渋谷からここまでのどこかで、大事な大事なキーケースを落としてしまったらしいのだ。まじですか、わたし。本気ですか、神様。


改札から出口をのぼり地上に出ると、やはり猛烈な雪が降っている。横殴りの雪だ。この豪雪のなか、おれはもう一度来た道を歩くのか。渋谷まで、会社まで、手袋を買ったコンビニまで、おれは歩くのか。しかも厄介なことに、がんがんに降りしきる雪は、みるみると道路を埋めつくし、ぼくが落としたであろうキーケースを巧妙に隠していく。

傘をさしてる場合じゃなかった。道路上の雪に、少しでも不自然なふくらみを見つけたら、傘を突き刺す。落ち葉だったり、壊れた傘だったり、そのカバーだったり、リップクリームだったり、乾電池だったり、ヘアバンドだったりを突き刺しながら、渋谷に向かってずんずん歩く。

見つかるはずがない、ということくらい最初からわかっていた。それほどひどい雪だったし、実際見つからなかった。交番で遺失物届けを出し、最後に立ち寄ったコンビニでも落とし物を確かめたけれど、やはり見つからなかった。それでもぼくは雪のなか、渋谷と隣駅のあいだを2・5往復歩いた。下を向いて、傘を突き刺し、雪を足先で蹴飛ばしながら、ひたすら歩いた。クレジットカード会社に電話して、カードを止めたにもかかわらず、まだ歩いた。見つかるはずもないキーケースを求めて、傘もささずに歩きまくった。なぜ、おれは歩いているんだろう。どうして、おれは探し続けているんだろう。何度目かの自問自答の末、ようやく答えがわかった。


「あきらめたかった」のだ。


なかなかあきらめがつかない事柄に対して、「ここまでやったんだから、もうあきらめよう」と思えるだけの消耗を、果たしたかったのだ。


結果、家の鍵、駐車場の鍵、宅配ボックスの鍵、会社の鍵、クレジットカード1枚をぼくは失った。朝の通勤時にもひとつ前の駅で降りて、渋谷まで下を向いて歩いたけれど、やはり見つからなかった。今日の帰宅時にもまた、あの駅まで歩いていくのかもしれない。

もしもこれ、昨夜の行軍が原因で風邪を引いたり肺炎を患ったりしていたら、ぼくはいさぎよくあきらめていただろう。しかし、気温が上昇し、体力も回復した現在、あきらめのラインを踏み越えることができないまま、その手前でぐずぐずしているのである。あきらめの悪い、ぐずぐず屋なのである。


あきらめる才能がぼくにもあったなら、仕事だってもっとてきぱきと手離れが早くなるんだろうな。