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変化すること、しないこと。

若い人たちからは、鼻で笑われる話なのかなあ。

いまがまさにそうなのだけど、ぼくはしばしば腱鞘炎になる。「タイピングのやりすぎ」といえば、ライターとしての武勇に聞こえるのかもしれない。けれどもそれは理由の半分でしかなく、もう半分の理由は「タイピングの指づかいがおかしい」である。たとえばぼくはキーボードの「T」を右手中指で押す。この一事をもって、ぼくのタイピングがどんだけ珍妙なものであるか、ご理解いただけるだろう。当然ながらタッチタイピングはできない。

さて、問題はタイピングではなく腱鞘炎である。その消炎剤である。

いろんな商品を試した結果、けっきょくぼくはサロンパスに落ち着いた。インドメタシン系とかフェルビナク系とか、あるいは処方箋をもらってのモーラステープとか、先端的な貼り薬もぜんぶ試した上で、腱鞘炎にはサロンパスがいちばんしっくりきている。

そうやって考えてみると、ぼくの身体はかなり保守的だ。

胃痛にはキャベジン。もしくは太田胃散。腹痛には正露丸。やけどや傷にはオロナイン。解熱にはバファリン。昭和の薬箱をそのまま使ってるんじゃねえかというくらい、むかしながらの薬効に頼っている。

ただ、ひとつだけ使わなくなったなあ、と思う薬がある。使わないどころか、その存在を見かけることさえなくなったなあ、という薬が。


赤チンだ。


小学生くらいまで、かんたんなすり傷には、たいてい赤チンで対応していた。膝小僧を赤チン色に染めた小学生は、たくさん歩いていた。

たぶん、ぼくが昭和的だと思っているキャベジンとか正露丸とかバファリンとかも、時代に合わせて新成分を配合したり、使用感やパッケージを進化させたり、いろいろあたらしくなっているのだろう。そして(実際どうなのかは全然知りませんよ)赤チン的な商品は、変化を嫌って時の流れに消えていったのだろう。

「あの人はむかしから変わらなくて偉いねー」ってことばは、ちゃんと変化・進化していった人への称賛なんですよね。目に見えない変化をくり返してきたからこそ、生き残っているわけで。


(※追記)
念のため、と思って調べたところ、赤チンは水銀を含んでいるため公害問題的な観点から国内での製造が中止されているんですって。へぇ〜。