笑顔でいられることの意味。

なんであんなに笑ってられるんだ。

カーリング女子のLS北見、通称「そだねーJAPAN」。見どころだらけと言ってもいいくらいに充実していた平昌オリンピックにあって、ぼくがいちばんたくさんの時間を費やして考えたのは、彼女たちの笑顔だった。

いまからちょうど二十年前、1998年のサッカーW杯フランス大会。前大会最終予選の「ドーハの悲劇」を乗り越え、「ジョホールバルの歓喜」を経て初出場を果たした日本代表は、三戦全敗という無残な成績で大会を終えた。中継のスタジオで、ゲストとして招かれたドーハ世代のラモス瑠偉さんは、終始怒っていた。「なに試合中に笑ってるんだよ!」「もっと真剣にやれよ!」「ガム噛んでんじゃないよ!」。本気で怒るラモスさん。結局、1ゴールも挙げられなかったFWの城彰二選手は帰国時の空港で、ファンから水を浴びせかけられることとなった。試合中にガムを噛み、シュートを外しては笑顔を見せていた彼に、当時のサッカーファンは怒り心頭だったのだ。

そして「そだねーJAPAN」である。

彼女たちは、うまくいってもいかなくても、常時笑顔でいることを心がけている。たまたま「無邪気な明るい子」が集まった結果、そうなっているわけでは当然なく、チームの方針として笑顔を心がけている。その理由を推察することはわりかし簡単だ。チームワークが命の競技であるから、笑顔を大切にする。緊張をほぐすための施策として、笑顔を大切にする。自分や仲間を追い込まないために、笑顔を大切にする。4年に一度のにわかカーリングファンでしかないぼくでも、いくらだってそれらしい理由を挙げることができる。

問題は、なぜ「いつでも笑顔」でいられるのか、だ。

予選中盤から三位決定戦まで、今回の彼女たちはピンチの連続だった。テレビ中継を観ているにわかファンのぼくでさえ、眉間に皺を寄せ、腕組みしながら「まいったなあ」とか「ああー、ダメだったか」と唸るような展開だらけだった。呼吸することさえ忘れ、全身に力が入る展開の連続だった。ましてや彼女たちにしてみれば、本番中の本番だ。「そだねー」「いいと思うー」「ナイッスー」なんて笑顔で言い合ってる場合じゃないだろうし、事実ほかのチームは一様に緊張した面持ちでプレーしていた。

ラモスさんのような「笑ってんじゃないよ!」的な精神論とは別に、この笑顔はちょっと、謎がすぎる。笑っていられる理由が、皆目わからない。ずんずん引き込まれながら中継を観る。


そこで浮かんだことばが「Bプラン」だった。にわかファンとしての見解であることを承知で、書いてみよう。

カーリングは状況判断がすべてのスポーツだ。ストーンを放った瞬間から刻々と状況は変わり、打つべき手も変化していく。いま、ストーンはどの方向に、どれくらいの速度で、どれくらいのカーヴを描きながら進んでいるのか。状況を瞬時に見極め、スイープするのかしないのか、どこで、誰が、どれくらいの強さでスイープするのか、などを判断しなければならない。そこでカーリングでは、投げる前にAプラン(最善策)、Bプラン(次善策)、Cプラン(そのまた次善策)くらいまでの作戦を立て、「Aプランをめざしながら、それができなかったらBプランに、BもむずかしくなったときにはCプランに切り換えていこう」みたいな方針を一投ごとに共有し合っているのだという。

当然そこで求められる能力は「切り替えの早さ」だ。ストーンの動きを見ながら「Aプランはむずかしそうだ。Bプランでいこう!」とプラン変更する。その判断が1秒でも遅れたら、Bプランの成功率は大幅に下がってしまう。最善策への執着は、命取りになる。一見するとのんびりした競技に映るカーリングは、その「状況判断のスピード」において圧倒的にスポーツなのだし、カーリングのトッププレイヤーとは「切り替えの達人」なのだ、たぶん。

そう考えると、競技中の笑顔も理解ができる。いま笑っていることは「切り替えたこと」の象徴であり、「引きずっていないこと」と「いまできるベストを狙うこと」の象徴だ。そしてその切り替えが瞬時にできるからこそ彼女たちは、オリンピックの舞台に立っているのだ。

おそらく笑顔になった瞬間、彼女たちは「主観」から「客観」への切り替えを終えているのだろう。険しい表情をしているあいだは、まだ「過去」のなかにいるのだし、「主観」から一度も抜け出していない証拠なのだ。



笑顔で仕事がしたいなあ。笑顔でいれる自分でありたいなあ。


このオリンピック、最大の気づきと発見はそこでした。ほんと彼女たち、一度取材してみたいです。すばらしい銅メダル、おめでとうございます。

武士は食わねど高橋ジョージ。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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