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「紙の本は残る」のか?

きのう「明日のライターゼミ」という場所で、講師として登壇した。

たぶん、こういうかたちで外部のセミナーやスクールに登壇するのは、これが最後になると思う。もともとおしゃべりは下手な人間だし、講座がうまくいったかどうかはわからないけれど、受講生のうちの、ひとりでもいいからぼくのことばを真剣に受け止め、なにかを変えるきっかけになればうれしく思う。

講義の終了後、受講生の方々が集まった懇親会に参加した。「明日のライターゼミ」の名前を信じるならば、書くことや編集することで食っていこうとしている方々だ。ぼくは同じテーブルについた人たちみんなに訊いた。


「紙の本をつくることって興味ある?」

こちらの予想に反して、ほとんどの方が「ある」と答える。「なぜ本に興味があるの?」。その答えはわりと、予想の範疇を超えないものだった。


「やっぱり、本は残りますから」


これは、紙の本に関わっている全員が自問自答しなきゃいけない問題だと、ぼくは思っている。紙の本でごはんを食べている多くの人は、きわめて呑気にその価値を「残ること」だと答える。フロー型ではないストック型のコンテンツだとか、こしゃくな単語を駆使したりしながら「残ること」の価値を語りたがる。

でも、みんなほんとうは知っているはずだ。紙の本は、基本残らない。買った本は手元に残るけれど、買っていない本は市場に残らない。あっという間に本屋さんから姿を消し、つまりは市場から姿を消し、たとえば20年前の本を入手しようとすれば、古書店以外の経路はなくなったりする。「いつでも新品が手に入る」という意味においては、電子書籍やWebアーカイヴのほうが圧倒的に「残る」のだ。

紙の本が好きだったり、紙の本をおもしろく思っている人は、きっと「残ること」以外の価値を、無意識のうちに見出しているはずだ。自分が紙の本にどんな価値を感じているのか。それを真剣に探ろうともせず「紙の本はねえ、やっぱり残るところがすばらしいんですよ。ネットだったらすぐに埋もれておしまいでしょ」なんてテキトーなことを言っている出版関係者は、出版不況やデジタル化・インターネット化などの潮流とはまったく無関係に消えていくと、ぼくは思っている。

もちろん「残らない」を前提にしないかぎり、「どうすれば残る本ができるのか?」を真剣に考えることもできない。