見出し画像

クリエイティブの根っこにあるもの。

年末年始、なんとなくのきまぐれに「質問箱」というやつをやってみた。

ツイッター上で質問募集の URL を公開し、たまたまそれを見た方が匿名のうちに質問を送信し、ツイッター上でぼくが答える。そんなサービスだ。過去に何度かこの手のサービスは流行ったものの、「みなさんの質問にお答えしますなんてお前、有名人きどりかよ!」的な自意識がじゃまして、利用したことはなかった。今回やってみようと思ったのは、タイムラインに流れてくる友人たちの「回答」を横目に見ることが、意外とおもしろかったからだ。

そして自分でもやってみたら、意外なほどおもしろかった。

書いてておもしろかったのは、そこに「訊いてくれる人」の存在を実感できること。いいねボタンとかリツイートとかとは違った、もう少し能動的な「訊きたい」「知りたい」「触りたい」といった、「〜したい(want)」の矢印を実感できることです。

ほら、よく「好奇心が大事なんだ」とか「知的好奇心を失ったら成長が止まってしまう」とか言うじゃないですか。あの(知的)好奇心ということば、ぼくもたまに使っていたんですけど、なんかもうちょっとビシッと、複合語ではないひと言で、核心を言い表せないかなあという気持ちが強かったんですね。それがもしかしたら「want」なんじゃないかと、おれの(人の)行動原理はすべて「want」なんじゃないかと、ぜったい失っちゃいけないものは「want」なんじゃないかと、そんなふうに思った年末年始でした。


それを気づかせてくれたのは、何気なく答えたこちらの質問と、その後のやりとりです。


クリエイティブの根っこには、枯れることなき「want」の泉がある。


あけましておめでとうございます。今年もますます自分だけの「want」を大切に、一年間がんばっていきたいと思います。


あ、質問箱、ときどきお答えしていこうと思いますので、適当にぜひ。