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ここだけの話をする、ここだけのおれ。

彼はそれを、「古賀語録」と呼ぶ。

人間のどうしようもない習性としてぼくは、気のおけない仲間たちとの酒の席で、少し気がおおきくなる。「ここだけの話」をする「ここだけのおれ」がいる。最近はお酒を飲む機会そのものが減ってしまったとはいえ、いまでもその習性は変わっていない。へろへろに疲れたときにお酒を飲んだりすると、すぐさま「ここだけのおれ」が現れる。

編集者の柿内芳文氏は、そんな「ここだけのおれ」が語る放言のいくつかを「古賀語録」と名づけ、いつまでも記憶している。「それ、明日の note に書いてくださいよ」なんて言われることもあるけれど、たいていは「書けるか!」のひと言で返す。



「もうね、ぼくが大好きな『古賀語録』があるんですけど」

先週くらいの打ち合わせ中、彼が急に切り出した。いつかの酒の席で、ぼくはこんなことを言ったのだそうだ。



「出版不況じゃねえよ。ただの『お前不況』だよ!」



聞けばたしかに、それを言った自分を思い出す。その日の映像を思い出す。ぼくは腕の立つ編集者さんたちと一緒に、鍋を囲んでいた。目の前にいる、特定の誰かさんを叱り飛ばすことばではなく、気やすく出版不況を口にしてお茶をにごす人たちへのことばとして、ぼくはそんなことを言った。


きょうの「今日のダーリン」に、その発言のおおもとになったであろう話が紹介されていた。引用させていただく。


ずうっと昔のことだけれど、ある先輩が、こんなことを教えてくれた。

「景気のいい時代と、景気がふつうの時代と、景気のわるい時代がありますよね。景気のいい時代には、どういう業界でも、一流と二流と三流と、四流の人さえ食えるんです。景気のふつうの時代では、一流と二流が食えるでしょう。で、景気のわるい時代には、一流しか食えなくなります。一流の人が一流のことをやっていれば、どんな時代がきても、なんの問題もないんです。」

なるほどなぁと、ぼくは思った。

「レストランでいえば、料理人の腕が一流。そして、立地や内装が一流。フロアのサービスが一流と、3つの要素が一流なら、それが一流です。でも、いくら料理がおいしいとしても、たとえば接客のところで一流と言えない人がいたら、それは、もう一流ではなくなってしまいますよね。」

ああ、そうだよなぁ、とぼくは思った。

「それでも、景気のいい時代にはお客さんが来ますから、まだ一流だと思いこんでいられるんです。でも、接客のサービスを落ちたままにしておいたり、店の建物や内装とかインテリアを、きれいなままにできなくなっていたら、景気がわるくなったときには、もうアウトになります。」

お客がいつも来てくれている間には、そういうことに気づけなくなるものなのだなぁと、他人ごととして、ぼくはなるほどと思った。


2019年6月27日 ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」一部抜粋


この話をはじめて伺ったとき、ぼくは「一流、二流、三流」のところよりもむしろ「景気がいいとき、わるいとき」のほうにこころを惹かれた。

たしかその当時、ある編集者から「リーマン・ショックの影響で本が売れなくなって…」と聞かされたばかりだったのだ。世界経済や出版業界の事情に疎いおのれを棚に上げつつぼくは、「そんなことはないだろう」と思った。「本(全体)が売れていないのではなく、きみが売れていないだけだろう」と思った。

そんなタイミングでこのエピソードに触れ、いたく感心したのだ。「不況があばいてみせるもの」の詳細に触れた気がしたし、ここまで考え、こういうふうことばにしなきゃなあ、と膝を打ったのだ。


そしてきょう、ふいにこのエピソードと再会し、酒の席での「古賀語録」を思い出し、いまさらおのれの未熟を恥じている。

ああ、ぜんぜん成長できてねえなあ、おれ。

やっぱりいまだに、二流、三流なんだよなあ、って。