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なにを言ってるのかよくわからない。

ぼくは、まったくついていけない話題がふたつある。

大学受験と就活である。もちろん大学には行ったし、就職もした。しかも世代は団塊ジュニア。いちばん競争が激しかった時代と考えることもできるのだろう。けれどもぼくは、国語と英語と小論文で行ける芸術学部を受験し、ほんとのほんとに生涯で1時間も受験勉強をしなかった。受験前日にサッカーの試合をしていたくらいだ。就活にしても似たようなもので、「メガネより重たいものを持たなくていい」というだけの理由で、大手メガネチェーンに就職した。面接ではゴーカートを乗り回そうと深夜の遊園地に侵入し、警備員に追いかけ回された話をしただけだった。社内報に載せるため自分の似顔絵を描くように言われ、精緻なアントニオ猪木の似顔絵を描いた。つまりは世のなかを舐めくさったまま大学に進み、舐めくさったまま就職したのだ。

きっとそのせいだろう。受験や就活についてなにかしらの一家言を持ち、喜々としてそれを語る大人たちの、動機のところがよくわからず、しばしば困惑してしまう。あのとき自分も苦労していれば、後輩たちの受験や就活に興味を持てたのだろうか。

じゃあフリーライターになること。これについて一家言を持っていたり、かわいい後輩たちに得々と心得を語ったりする欲求というか、体力があるかというと、それもあんまりない。むかしはもう少しあったのかもしれないけど、たとえばいま若いひとに「フリーライターになるにはどうしたらいいんですか?」と訊かれたら、かなり返答に窮すると思う。「会社を辞めて、確定申告をしたらフリーライターじゃないかな」くらいのことしか言えない気がする。

いい加減な人生だし、いい加減なライターだ。

それでもなんとかまじめになれたのは、やっぱり雑誌を辞めて本に移ってからだと思う。雑誌をやっていた当時は、明確に「賞味期限1週間の原稿を書いている」という意識があった。ノリ、反射神経、新奇性、納期の正確さ、だけを売りにして生きていた。読者のことよりも、クライアントである編集者のことばかりを考えて原稿を書いていた。

それが本(書籍)の世界に移ったとき、「賞味期限5年の原稿を書かなきゃ」との思いが芽生え、いい加減な仕事ができなくなった。編集者ではなく、その先にいるはずの読者たちのことを、はじめて真剣に考えるようになった。本を書くライターにとって、ほんとのクライアントは読者なのだ。


えーと、受験と就活がよくわからん、という話を書こうとしたらぜんぜん違う内容になっちゃいましたね。それくらいよくわからない話題で、ある意味ちょっとあこがれの話題でもあるんです。