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テクノロジーから遠く離れて。

自分はダメなおっさんになってしまったのだろうか。

ここ数年、そう感じる機会がやたらと増えてきた。流行りの音楽がわからないとかは、まだない。好悪は別として、それぞれ人気を博している理由はよくわかるつもりだ。人気アイドルがわからないとかも、まだ大丈夫だ。顔と名前が一致しないひとが多いのは事実だけど、「でもお前、いまどきのアイドルなんて、あのころのキョンキョンに比べたら」みたいなことを言うつもりはない。そういうカルチャー方面とは別に、テクノロジー方面の流行りが、まったく理解できないのである。

たとえば3Dプリンタ。あるいはドローン。それからVRにAR。

このへんの、高感度なビジネスパーソンたちが大喜びしている新テクノロジーについて、まったくといっていいほど関心が湧いてこないのである。


それが「すごいもの」であることは、理解できる。あんなこともできる、こんなに便利になる、こんな未来が待っている、という話もある程度は了解しているつもりだ。

けれども、たとえば3Dプリンタという新技術を前にしたとき、「おれはなにをしたらいいのか」が、さっぱりわからないのだ。ドローンにしても、住宅街のマンションに住んでる自分があれをどうすればいいのかわからない。へんな話、犯罪くらいしか思いつかない。VRに関していえば、リビングで家族があの鈍重なメガネを装着して「きゃあ」とか「ひゃあ」とか言ってる姿は、かなり気持ち悪い。誰も居ない部屋であれをつけて「きゃあ」「ひゃあ」やってる自分の姿は、もっと気持ち悪い。ぼくにとって、映画館でかける3Dメガネがどうにか許容可能なのは、あれを「みんなで」「まわりからは見えない暗闇のなかで」装着しているからだ。

……と、こういう話をすると昭和のおっさん扱いされるのだろうなあと思い、これまであまり公言してこなかった。

でもねえ。

最近思うんだけど、ガチ理系の方々を別にすれば、あたらしいテクノロジーに盛り上がっているひとたちの多くは、それを「投資家の目」で見ているんじゃないだろうか。つまり、これから著しい成長が期待される分野であるという事実だけをもって、それを「おもしろい」と言っているのではないだろうか。

ぼくはあんまり賢くない人間なので「この分野がこれから伸びるぞ」という情報だけでは、あんまり興奮できない。たとえばスマホにしても、ぼくがほんとうに興奮してガラケーからの乗り換えを決意したのは、サードパーティーによるいろんなアプリが出揃ってからだった。スマホという概念が、アプリという具体に落とし込まれてようやく、それをよろこぶことができた。パソコンだって、ブラウザやメールソフトの誕生によってようやくよろこんだ。「投資家の目」は、若いころから曇りっぱなしだ。そして正直、わからないことをわからないままに盛り上がりたくない、という気持ちもある。


だからこそ、「時代を見越す投資家の目」を持つ編集者と、「事象を舐め尽くす観察者の目」を持つ作家やライターのマッチングが大切なんでしょうね。