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叫ばれた正義は嘘である。

気がつけば、ひゃあ。あっという間に2017年です。

年頭のご挨拶、決意表明なんてものをする場所ではありませんが、けれでもやっぱり肩に力が入るというか、2017年はじめてのブログとしてそれっぽい話をするべきなのかなあ、という気がします。

去年の年始、ぼくは「バトンズ3つのルール」と題して、こんなことを書きました。

(1)聞いたことではなく、理解できたことを書く。

取材原稿に取り組んでいると、どうしても「聞いたこと」をそのまま書いてしまいがちです。相手から聞いたことではなく、そこから自分が「理解できたこと」だけを書くようにしましょう。そしてより多くを理解するために、最大限の努力を払いましょう。書き手が理解できていないことばなど、読者に届くはずがありません。

聞きかじるのか、理解につとめるのか。これは取材やお仕事にかぎらず、日常生活のいろんなところで実践できることです。



(2)書く時間よりも、考える時間を。

「いい原稿」と「そうでない原稿」のいちばんの違いは「考える量」にある。もう、これは断言してもいい話だと思います。もしもすらすらと「いい原稿」を書く人がいるとしたら、それは原稿に向かっていない時間にたくさん考えているから。ごはんを食べるときも、電車に揺られているときも、あんな場所でも、こんなことをやってる最中にも、とにかくなにか考えているはずです。

キーボードをタイピングしていない時間に、なにをどれだけ考えているか。ライターとは、書く仕事である以前に、考える仕事なのです。



(3)自分のことばで考える。

「自分のアタマで考える」とは、いろんなところで言われる話ですが、ほんとうに大切なのは「自分のことばで考える」こと。借りもののことばで考えているうちは、自分のアタマで考えることもできず、ほんとうの理解にまでは至りません。

そして自分のことばで考えるコツは、一般化に逃げ込むことなく、「わたし」を主語にして考えること。わたしはどう思うのか、わたしだったらどうするのか、わたしにマイクが向けられていたらどう答えるのか。情報を情報として処理せず、いちいちそのつど「わたしのこと」として考え、ことばにしておく。面倒くさい話ですが、大事なことだと思います。


ここに加えて、今年はもうひとつの指針を掲げたいと思います。


(4)説得よりも、納得を。

他者(とくに読者)に理解を求めようと口を開くとき、そのコミュニケーションが「説得」になってはいけません。説得とは、強要であり、恫喝であり、ひとつの暴力です。

自分が大きな声でなにかを語ろうとしたときは、十分注意してください。真摯なことばは、いつも静かな声で語られるものです。大きな声(過度な技術)を使おうとしているあなたは、声の大きさによってごまかさなければならないなにかを抱えています。その対象をほんとうに理解できていれば、声はトーンは淡々と、そしてボリュームはちいさなものになっていくはずです。

他者を「説得する」のではなく、他者に「納得してもらう」こと。

教えを諭すのではなく、同じ方向を見て、ともに考えること。

説得の主体はあなたであり、納得の主体は読者です。

そして一冊の本は、きれいごとではなく「読者のもの」なのです。そこを忘れてはいけません。


今回の話はもう、その未整理ぶりも含めて完全に自分自身へのことばですね。原稿が「説得」に流れそうになったとき、立ち止まってきょうのことばを思い出したいと思います。

それではみなさま、本年もよろしくお願いします。