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元サッカー少年の考えるコンテンツ論。

例年、W杯イヤーは激務の只中だった。

4年前、ブラジル大会のときには編集の柿内芳文氏から「古賀さん、世間ではワールドカップがどうしたこうした言ってますが、あれは幻ですから! ぼくらの現実は目の前にある原稿、それだけですから!」との脅迫を受けながら原稿を書いていた。8年前も、12年前も、16年前もずっと激務をかいくぐるようにして深夜の中継映像を観ていた。

その意味でいうと今回のW杯は、目の前に差し迫った原稿があるわけではなく、比較的のんびりと観戦できている。

と、ここから今大会の所感や気に入ったチームなどの話を書き連ねていってもいいのだけど、すこし角度を変えた話をしたい。


サッカーはなぜおもしろいのか、どうしてあれほどにも大勢の人たちが興奮するのか、という話だ。

たとえばぼくが中学生のころ、日本テレビと大橋巨泉さんが中心になって、アメリカン・フットボールを流行らせようとするキャンペーンが張られた。日本テレビといえば高校サッカー選手権大会を長くサポートするテレビ局であり、トヨタカップ(現クラブワールドカップ)の中継もやってきた局だ。解説・松本育夫さんの名調子(迷調子)をご記憶の方も多いだろう。そんな日本テレビへの恩義を忘れまいと、ファミコンソフト『10ヤードファイト』を頼りにあやふやにルールを憶えるなどしてアメリカン・フットボール観戦に臨んだ中学生のぼくは、これは流行らねえだろうな、と思った。


理由はカンタン、「ゴールネット」がないからだ。

サッカーをやったことのある人間、実際の試合でゴールを決めたことのある人間、そして真剣にサッカーを観戦したことのある人間ならわかるだろう。サッカー選手がゴールを決めたとき、スタジアム全体があれほど熱狂し、選手があれほど興奮しきった表情で走りまわる理由の大部分は、「ゴールネットが揺れること」と関係している。シュートが決まり、パサーッとたなびくゴールネットは、セレブレーションの号砲なのだ。サッカーというゲームがもたらすカタルシスは、あのゴールネットによって形成されているのだ。

他方、アメリカン・フットボールにはゴールネットがない。ラグビーみたいな、ボールを地面に(身体ごと)叩きつけるトライもない。それじゃあ、あんまりにも盛り上がりに欠けるよ。タッチダウンだなんだと言われても、おれたち素人にはどこでどう喜べばいいか直感的にわからないよ。中学生のぼくは、そう思った。


本をつくるとき、ぼくは「ゴールネット」を探している。この本にとっての「ゴールネットが揺れる瞬間」はどこにあるのか探している。ゴールネットが揺れもしない本は、記憶に残らないと思っている。

お客さんとしても、そうだ。本を読むとき、音楽を聴くとき、ライブを観るとき、映画を観るとき、美術展をまわるとき、ぼくは「ゴールネットが揺れる瞬間」を求めているのだ。

さあ、ゴールネットを揺らせよ、おれよ。