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経営者のまかないめし

本屋さんに足を運ぶ。ビジネス書のコーナーに歩を進める。ざっと棚を眺めてみると、まあたくさんの本が並んでいる。何冊となくヒット作を出されている売れっ子の著者さんもいるし、そのお名前を存じ上げない著者さんもいる。

後者について、どういう方なんだろう? 手に取ってみると、どこかの企業の経営者であることが多い。たぶん、今月だけでも何十何百という経営者が自著を出版し、来月も再来月もたくさんの「株式会社○○代表取締役社長」による本が出版されるでしょう。

以下、経営者の手による本を「社長本」としつつ、その中身について個人的に思っていることを書いてみたいと思います。

まず大前提として社長本は、その経営者のパーソナリティや手がける事業のおもしろさに比べて、退屈な読みものになることが多いジャンルです。理由はカンタンで、そこで語られる言葉に「匂い」が感じられないからだと思っています。

わざわざ毒を吐く必要はない。弱みを見せる必要もない。遠くを眺め、きれいな言葉で、けがれのない理想を唱え、大きな物語を語っていれば、それでよろしい。さまざまなステークホルダーに取り囲まれた立場上、そういう判断になるのも致し方ないのかなあ、とは思います。

ただ、人間が語れる「遠くの風景」とか「きれいな景色」って、じつはそんなに多様性がなくって、どれも似たり寄ったりになっちゃうんですよね。これってもう、人間というハードウェアの認知能力の問題なんだと思います。だから多くの社長本は「具体の事例は違うけど、見ている先は一緒だね」という、よくいえば安定感、悪くいえば既視感のあるコンテンツに落ち着いちゃう。

これ、けっきょくは想定読者の人選ミスだと思うんです。想定読者を「まだ見ぬ "外" のひと」にするから、視線が上がって遠くを見ちゃう。色彩さえおぼつかないような蜃気楼の景色を語っちゃう。そうじゃなくって、ぬかるんだ足元の話、踵が磨り減り、泥に汚れた靴の話が聞きたいのだし、そこにこそ、その人だけのおもしろさがある。

そんな話だれも聞きたくない? 人様にお聞かせするだけの価値がない? いやいや社長、違いますよ。この本の第一読者は、従業員のみなさんなんです。足元の話、泥んこの靴の話、聞かせてください。

想定読者の一丁目一番地を「うちの若いやつら」にした社長本は、まあ抜群におもしろいです。なぜなら、そこに「嘘」がまじらないから。毎日のように顔を合わせ、みっともない姿も見られちゃってる、証人もたくさんいる読者に向けて「きみたちに伝えたいこと」を語り出すと、おもしろくならないわけがない。そんなの社内報でいいじゃん、と思われるかもしれませんが、「嘘」のない具体の言葉には、ちゃんと「普遍」が入ってるんですよね。

「よその人たち」に語る言葉は、つまんない。「うちの若いやつら」になにかを語るとき、読者はそのお裾分けをいただける。社長本の基本は「まかないめし」なんだと思っています。