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誠実と不実と不まじめと

きょうのほぼ日「今日のダーリン」は、「誠実」の大切さについてのお話でした。去年のミーティングでお話ししたことなんだそうです。

24時間で消えてしまう「今日のダーリン」。コピペでの引用はなんとなく気が引けるのでおおまかにまとめると、糸井さんは「誠実」のよさについて、それが「姿勢」であることを挙げます。技術ではない「姿勢」だからこそ、新入社員でもベテランでも、誰にでもできる(はず)。そしてじぶんが「誠実」であるかどうかは、じぶんがいちばんよく知っている(はず)。人間は弱い生きものなので、じぶんに嘘をつくこともあるけれど、その嘘も、じぶんはどこかで気づいている。さらに「誠実」は、まわりのひとが見つけてくれる。信頼というかたちでつながり、そこでは精いっぱいの「貢献」ができる。そんなお話でした。

このなかで糸井さんは、おそらくは「誠実」の反対語として、「不実」ということばをさらっと使っていました。それで、ああ「誠実」のよさはもちろんだけど、「不実」の嫌さは相当なものだなあ、と思い、いまこれを書いています。

不実、不正、不満、不倫、不幸、不本意。この「不」というひと文字がもたらす、筆舌しがたいもやもや。音として「負」につながるというのももちろんあると思うのですが、とくに「不実」というのは嫌だなあ、そういうひととは関わり合いになりたくないなあ、と思います。

そこで思い出したのが、本田宗一郎さんによる「不まじめであるな。非まじめであれ」という有名なことば。

誠実であることとは、まじめであることではなく、日本語としてはへんなトートロジーにはなりますが「不実に非ず」な態度のことなんでしょうね。

この、接頭辞としての「不」と「非」の違い。英語だとどうなるんだろう。ともかく、人生のなかからあらゆる「不」を排除して生きていきたいなあ、と思いました。