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本を書くとき、ぼくはいつも。

これまでぼくは、およそ100冊の本をつくってきた。

簡単にできた本など、ひとつもない。どの本も苦労したし、途方に暮れた。具体的には毎回「はたしておれは、これを書き上げられるのだろうか。そんな日は、ほんとうに訪れるのだろうか」と思ってしまう。とくに本の前半、登山でいえば2合目から3合目あたりのときにつよく、それを思う。ここまで登ってきた苦しさと、雲に隠れて見えない頂上の果てしなさに、こころが折れそうになる。

しかし半分くらいを書き上げると、あいかわらず頂上は果てしないものの、どうにかこれをかたちにしなきゃ、と思えるようになってくる。前半の展開はまったく申し分ない。むしろ、おもしろくてたまらない。これを世に出さないなんてもったいなさすぎるし、この前半の盛り上がりを失速させるのももったいない。どうかこのままのテンションで書き上げよう。じゃないと、前半あれだけ苦労した自分が報われない。……そんな感じで後半は、割と上手に自分を律しながら書いていける。

その意味でいうと、ぼくにとってたいせつなのは「いかにおもしろい『はじまり』を描けるか」だ。はじまりのおもしろさで、その本のテンションは決まるし、自分の覚悟も決まる。本でいうと第1章や第2章をおもしろくするのは、読者のためである以前に、自分のためなのだ。3章や4章を書いていく自分のために「このバトンを落とすなよ!」と、序盤に圧倒的なレースをみせるのだ。


いま、進行中の本がわかりやすく2合目から3合目あたりで苦労している。ここをさらっと書き流してしまったら、そのテンションは後半にも伝染する。さあ、ここが踏ん張りどころ。来月はちょっと、いくつもの不義理を覚悟でこの本に集中しよう。