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ひとそれぞれの高度成長期。

きのう、ふと「あのころは調子に乗っていたなあ」と思った。

きっかけはツイッターだ。タイムラインに流れるある方の話題を見つけて、「ああ、10年以上前に一度だけ取材させていただいたんだよなあ」と思い出した。おもしろかったなあ、とか、いい人だったなあ、とかの記憶と同時に「あのころはなんにも怖くなかったなあ」と、当時の自分を思い出した。

まだまだ名もなき若手の一員としてそこにいて、目の前には登るべき階段だけがあって、そんなの登るに決まっていて、登れる自信にあふれていて、まるで開発途上国のメインストリートみたいな熱気に満ちていたなあ、と思った。


自分の仕事人生を戦後の歴史にたとえるなら、ほとんど焼け野原みたいな土地にバラックを建てていった復興期もあったし、いけいけドンドンな高度成長期もあった。そしてたぶんバブル期も経験してしまって、いまはデフレ突入直前の、1996年くらいの時期なのかなあ、なんてことも考えた。

じゃあこれからの自分がデフレまっしぐらなのか、失われた20年を生きるのかというと、それは違うと思うし、そうならない道を考えたい。でも、まあ、高度成長期からバブル期のやりかたをなぞっているだけでは、たぶんダメなんだろうということはわかっている。今後の自分がほんとうの意味で食いっぱぐれることはないとは思いつつ、不本意なかたちで食いつなぐしかない可能性はじゅうぶんにある。


先を生きる先輩たちが40代や50代のころに考え、書き残していったことが、最近ようやく自分のこととして理解できるようになってきた。迷ったり、悩んだり、でっかい決断をしたりしたことは、たとえ若いひとたちに笑われるようなことであっても、そのつどちゃんとことばにして残しておかなきゃなあ。いつか、むかし笑っていた誰かの、支えになるのかもしれないのだから。

なんだか最近、2年後・3年後のことばかり考えています。

5年後のことは、さすがにちんぷんかんぷんですね。