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計画のことば、構想のことば。

誰かの語る、「プラン」を聞くのが好きだ。

ここでのプランとは、「計画」ではない。「構想」の話だ。おおきくて、漠として、本人さえもうまく言語化できていなくて、しゃべりながらどこかで「おかしいなぁ、もっとおもしろい話のはずなんだけどなぁ」と自分におどろき、焦っているような、そんな段階にある構想の話だ。聞きながら、もっともっとしゃべろ、と思う。他人にそれをしゃべっていくうちに、プランはかたちを帯びてくる。

計画としてのプランがつまらないのは、それを語る人たちが「あんたも儲かりまっせ」をまぜてくるからだ。もう少し穏当なことばに変換するなら「あなたにもメリットのある話なんですよ」をまぜてくるからだ。構想としてのプランを語る人たちは「あんたの儲け」など眼中にない。可能性しかないプランが、どこまでも膨らんでいくプランが、たのしくてたまらないのだ。

構想としてのプランに耳を傾けるとき、ぜったいに口走らないよう気をつけていることばがある。


「それ、どうやって儲けるの?」だ。


この、誰にでも言える退屈なひとことによって、おもしろいプランの「おもしろ」はものの見事にしぼんでいく。そしてタチの悪いことに、この質問を投げかける人は(ほぼ間違いなく)プランの成功を願っていない。心配しているわけでもない。プランの可能性を理解しようとさえせず、ただ目の前でふくらむ風船にいらいらしているだけだったりする。

どうやって儲けるのかが見えてしまったプランは、ぜんぶ「計画」だ。そしてひとりのあたまで立てられた計画は、いつも退屈で、ちいさい。そこにわくわくする人がいるのは否定しないけれど、ぼくは「構想」に胸を躍らせる人間でありたいと思う。そしてまた、まっとうな志に根ざした「おもしろ」を膨らませていけば、儲けなんてあとからいくらでも見つかるのだと信じる自分でありたい。

いまおおきなプランを抱えている人、そしてこれからプランを膨らませていくであろう自分に言っておこう。無責任な誰かさんの「それ、どうやって儲けるの?」の声にはぜったいに耳を貸すんじゃない。その退屈なひと言は、かんたんにあなたの「おもしろ」をしぼませてしまう。いま、きみがやるべきことは「おもしろ」をどんどん膨らませることだ。