手紙のように、ひそひそ話をするように。

あくまでもぼくの場合は、という話ではあるのだけれど。

原稿を書くときぼくは、特定の読者を想像しながらキーボードをパチパチしている。その読者は編集者でもないし、取材相手でもない。たとえば「イチローさんがこれを読んだらどう思うだろう?」でも「バラク・オバマさんだったらこれをどう読むのだろう?」でもいいのだけれど、とにかく顔の見える特定の誰かさんだ。なんなら故人だってかまわない。

なぜか。どうして特定の読者を想像するのか。

その顔やリアクションを思い浮かべることによって、原稿に「手紙」の要素が加味されていくからだ。「原稿」と呼ばれるタイプの文章は、ともすれば「わしはこう思う」の羅列になりがちだ。もちろんそれも大切なことだけれど、根底にあるべきは「あなたに、伝えたい」という手紙的要素だとぼくは思っている。すべての文章はかたちを変えた手紙なのだとさえ、言ってしまいたいくらいだ。


先日、糸井重里さんに「古賀さんもついに『毎日書く人』になりましたね」と声をかけていただいた。ちゃんと続いていますね、という意味ではなく、毎日書く人の文になってきましたね、という意味でぼくは受けとった。

まだこのブログを毎日書くようになって2年と7か月だけれど、最初のころはやっぱり「わしはこう思う」型の文章ばかりを書いていたような気がする。それが少しずつ「手紙」になってきた感覚は、たしかにある。主義主張なんて、もはやどうでもよろしい。言いたいことも、広く世に問いたいことも、さほどない。「いいこと」や「うまいこと」を言ってやろうというスケベ心も、もはやない。ただ毎回違った特定の誰かに、ぼくを伝えたい。おおきな声で叫ぶのではなく、ひそひそ話をするように。そういう場所に、ここが変わってきた。

この感じをキープできるのであれば、ずっと続けていけるだろうなあ、と思っている。

馬の耳に壇蜜。
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古賀史健

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