あこがれのプリーチャー。
年齢でいえば中年、キャリアでいえば中堅からベテランである。
なのでこんな話をすると「老害」扱いされることはわかりきっているのだけれども、そして世のなかの流れから逆行しまくっていることも重々承知なのだけれども、だからこそあこがれに似た気持ちで思うことがある。
なんの遠慮もないままに、ほんとうの説教をしてみたい、と。
怒りや不満の捌け口として説教するのではなく、冷静に、淡々と、ただただ「あなたがやっていないこと」と「もっとできるはずのこと」などの基本的な事柄を列挙し、「それをやるために変えるべきこと」を一緒に考えるような、話としては建設的な、けれども聞く側からすればお説教になってしまうような、そういう場がほしいなあと思うことがある。
ほかの方がどうかはわからないけれど、ぼくにとっての説教とは面倒くさいものであり、飽きちゃうものでもあり、あきらめることのほうがずっとラクなものである。事実ぼくは説教らしい説教を、ほとんどやっていない自覚がある。そこをサボっているともいえる。
でも、ときどき説教にあこがれるのは、説教とはまさに「教えを説く」ことであり、説教という緊迫した場面でしか言語化できない自分の考えが確実にあるからで、それをひねり出すのは「相談に乗る」みたいな場面ではなかなかにむずかしいのだ。
で、おそらく今後もぼくが誰かに「ほんとうの説教」をする機会はないのだろうけれど、それを説教とは違ったかたちでうまく次に書く本に入れ込めるといいなあ、といま思っている。
それにしても、マニック・ストリート・プリーチャーズ(躁病通りの説教者たち)ってバンド名、すごいですよね。