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教養のぐるぐる

教養とはなにか。

ぼくが問題にしたい教養とは、たぶんリベラルアーツの訳語ではない。お勉強として学んだ「知識」ではなく、もっと根源的で、横断的で、寛容な、そのひとの生き方にも直結した「教養」だ。

ときどき「教養を身につけなさい」なんてお説教を耳にするけど、それは無理な相談だろう。なにかを学ぼうと身構えた瞬間、すでにその「構え」は教養から遠く離れているのだから。

それではなにが教養をかたちづくるのか。

けっきょくそれは、「わたし」よりも、「あなた」や「あのひと」に関心を寄せる生き方であり、態度なのだと思う。

膨大な知識の源にあるのは「わたし」への関心だ。「わたし」の成長の一環として、その知識は積み上げられる。よって知識で身を固めたひとはときどき、他者に対して不寛容になる。「知」を「力」と混同する。

「わたし」の成長などとは関係なく、ただ「あなた」や「あのひと」に関心を寄せ、そのありのままを受け止めようとすること。そんな、途中下車する旅人のような態度と生き方が、教養につながっていくのではないか。

原稿を書きながらあたまの右上に渦巻いていた、考え途中の考えです。