見出し画像

わたしの「桃太郎の一団」思考

今朝、いかにも冬らしい透明な晴天の下に立ち、なんとなく心が躍った。

濡れない、寒くない、傘がいらない、天然パーマの髪がくるくるにならない、みたいな実利もあるけども、単純に気持ちがいい。たぶんそれは本能的な喜びといって差し支えないのだろう。人はみな、こういう晴天に気分をよくするのだろう。

一方でぼくらは「恵みの雨」ということばも、よく知っている。宗教や独裁者が生まれた瞬間を描くマンガでは、たいていじりじりした日照りが続き、カリスマ的な誰かさんの登場とともに、どしゃぶりの雨が降る。民百姓が「恵みの雨じゃあ」と泣き喜ぶ。

逆に、雨がやんで「恵みの太陽じゃあ」と踊り喜ぶ民百姓のマンガは、たぶん見たことがない。もしもあるとすれば、それは雨天が晴天になったときではなく、闇に光がもたらされたときの歓喜だろう。


ではここで、桃太郎の一団で考えてみる。


つまり、犬やら猿やらキジやらは、雨降りを喜ぶ心を持っているのだろうか、と。

砂漠の国に生きたことがないので大きなことは言えないけど、少なくとも日本のむかし話に出てくる犬や猿やキジに、雨そのものを喜ぶ心はないような気がする。

なぜなら、雨を喜ぶ心とは、農耕に基づく喜びであり、いま雨が降っていることがうれしいのではなく、雨が降ったことによってもたらされるであろう将来がうれしいのでであり、心配事が解消されたことがうれしいのだ。


……というような「桃太郎の一団」思考、ときどきやります。

人間としての喜びを大切にしながらも、犬・猿・キジの喜びをもっと大切にしておきたいなあ、優先されるべきはそっちだよなあ、と。