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わたしの肩書き、もうひとつ。

先日会社の雑談で、肩書きについての話をした。

ぼくがライターという肩書きについてどう思っているのか。あの人は自分にこのような肩書きを付けているが、それはどうなのか。あたらしい種類の、これまでなかったような仕事にあたらしい肩書きを付けるとするなら、どんな点に留意するべきなのか。そもそも人に、肩書きは必要なのか。

ライターという自分の肩書きについて、ぼくはなんの不満も持っていないのだけれど(だって「書くひと」だよ?)、そう呼ばれることをよしとしないひとたちがいるのも、わからなくはない。

要するに「あいつらと一緒にしないでくれ」の心が、別の肩書きを求めるのだ。「おれはあっち側の人間ではなく、こっち側の人間なのだ」と。そう叫びたくなるくらいに「あっち側」が淀んでいたり、蔑まれていたり、有象無象のメルティングポットだったりという事情はよくわかるのだけれど、かといって「お前らとおれとは違うんだ」と他者を蹴落とすような態度は、どこかカンダタの物悲しさを漂わせている。もっとお釈迦様の御心に委ねるというか、自分が自分をどう呼ぶかではなく、まわりが自分をどう評すかに任せていいような気がする。


と、のんきに構えていられるのも、どうやら最近ぼくにあたらしい肩書きがつきはじめているのを実感しているからだ。

古賀史健といえば、犬。なにをしているひとだか知らないけれど、書いた本のことなんてまったく興味もないけれど、とりあえずかわいい犬と暮らしているらしい。もしもそんな認識が広まっているのだとすれば、そんなにうれしいことはない。

ぼくは「犬のおじさん」であり、「ぺだるのおとうさん」です。

ドコノコも見てね。