わたしの「自分インタビュー」。

聞かれれば答える。もしもあなたが望むなら、それについてお話しする。

好きな色から好きな食べもの、はたまた政治信条から信仰心の有無やあり方まで。いろんなものごとについて「聞かれれば答える」のスタンスを守っている人は、意外と多いのではないか。わざわざ自分から言うことはしないけれど、考えがないわけじゃないし、聞かれたときにはちゃんと答えますよ、と。ぼくは完全にそのタイプだ。

インタビューという場がおもしろく成立するのも、「聞かれれば答える」を守って生きていた人たちが、「よくぞ聞いてくれました」に出会う場がそれだからだし、「そんなことまで聞きますか」の難問をぶつけられたときの対応力、そこからひねり出される「なるほど、おれはこう思っていたのか」の発見が愉快だったりするからだろう。

とはいえ我々は、そうそう簡単に「インタビューされる機会」を持つことがかなわない。よって酒精の勢いにまかせて「ちょっと聞いてくれよぉ」なんて絡んだり、あるいはブログやSNSなどで「聞かれてもいない自説」をくどくど述べる。「聞かれてもいない」ことの照れ隠しとして、誰かの行いを批判する文脈に乗せて、正義の異議申し立てを装って、聞かれてもいない自説を語り出す。


職業柄なのかなんなのか。ぼくは暇さえあれば「自分インタビュー」をやっている。たとえば通勤の電車に揺られながら「そういえばきのう、トランプ大統領がこんな発言をしましたね。古賀さんはどう思いますか?」と自分にマイクを向ける。もちろん声には出さず、口も動かさず、脳内のイメージとしてただ、マイクを向ける。一瞬たじろいだぼくは懸命に答える。「まあ、トランプという人の発言を考える際に大切なのは〜」。


好きな映画ベスト10は?
平成でいちばんおもしろかった小説は?
どうしてフリーをやめて会社をつくったんですか?
もう白髪は染めないの?
最近話題のあの人をどう思っていますか?
支持政党とその理由は?
これから書いてみたい本は?
あの人の、どういうところが嫌いなの?


誰も聞いちゃくれないどーでもいい話から、ちょっと聞きにくい話まで。

ぼくは毎日何回何十回とくり返す「自分インタビュー」によって考えを整理し、おのれの考えのいたらなさを痛感し、もっとちゃんとした言葉にしてくれよ、と何度も何度も聞きかえす。

この習慣をやめたらぼくは、考えることそのものをやめてしまいそうだ。

椅子の上にも3円。
240

古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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